江ノ島線の開業時に設置され、各駅停車と急行の停車駅となっている小田急の南林間。
以前は待避線も備えた駅でしたが、ホームを延伸する際に撤去され、現在の姿になっています。
急行停車駅となっている南林間ですが、快速急行は通過する駅となっているのが特徴です。
快速急行の前身である湘南急行の時から、停車駅として外されていました。
江ノ島線の急行は、南林間の隣の中央林間にも停車するようになってから、連続停車するようになってしまいました。
本数が少ない江ノ島線の急行でしたから、それに加えて遅いというイメージまで定着していきます。
乗降客が多くないのに急行が止まる駅というのが、南林間のイメージになっていきました。
そんな時期に噂として定説だったのが、小田急のお偉いさんや、有力者が住んでいるというものでした。
噂なのでそのレベルの範疇を超えることはありませんが、とにかく耳にするネタでした。
付近に日産の事業所があるのが急行停車駅である理由でしょうが、江ノ島線内の各駅の乗降客数が年月の経過で移り変わっていったのでしょうね。
現在は急行がラッシュ時を中心とした運転になり、昼間は各駅停車ばかりが停車する駅となりました。
長後と同様に、近年の江ノ島線内では負の影響を受けてしまった駅となっています。
以前は待避線も備えた駅でしたが、ホームを延伸する際に撤去され、現在の姿になっています。
急行停車駅となっている南林間ですが、快速急行は通過する駅となっているのが特徴です。
快速急行の前身である湘南急行の時から、停車駅として外されていました。
江ノ島線の急行は、南林間の隣の中央林間にも停車するようになってから、連続停車するようになってしまいました。
本数が少ない江ノ島線の急行でしたから、それに加えて遅いというイメージまで定着していきます。
乗降客が多くないのに急行が止まる駅というのが、南林間のイメージになっていきました。
そんな時期に噂として定説だったのが、小田急のお偉いさんや、有力者が住んでいるというものでした。
噂なのでそのレベルの範疇を超えることはありませんが、とにかく耳にするネタでした。
付近に日産の事業所があるのが急行停車駅である理由でしょうが、江ノ島線内の各駅の乗降客数が年月の経過で移り変わっていったのでしょうね。
現在は急行がラッシュ時を中心とした運転になり、昼間は各駅停車ばかりが停車する駅となりました。
長後と同様に、近年の江ノ島線内では負の影響を受けてしまった駅となっています。
コメント
コメント一覧 (8)
当時の急行は相模大野、長後、藤沢、片瀬江ノ島に停まり、通勤急行は加えて南林間、大和に停まっていたようですが、通勤急行が廃止になり、急行の停車駅に南林間、大和が加わったというのが真実のようです。
ワタシダ
がしました
また南林間を停車駅から外せない理由は色々とあると思いますが、1番は急行停車という理由からその駅周辺に住んでいる人も居ると思います。通過としてしまうと反対されてしまうという理由もありそうです
ワタシダ
がしました
実際判明しているのも大和市の会見記に書かれている喜多見に初代社長と孫でセシリア初代校長が住んでいたというものしか、確証のある物は無いのですから。
日産に関しては南林間から日産工場行きの路線バスが出来たことで、南林間周辺商店街の活性化と宅地化に繋がり、急行停車駅になった日を見ても利用者数増加を見越して急行停車に指定したのだと思いますよ。(日産工場が出来た日と急行停車指定した日が近い)
現状では工場は事業所となりましたが、一部がイオンモール座間になったことで、日産事業所&イオンモール座間への通勤や買い物利用者が大半でしょうね。バス通学圏の座間総合高校の生徒もバスで通学しているのを南林間で朝よく見かけます。(相武台前とかからも行けるでしょうが、南林間からもバスで座間総行けます)
バスではないですが言わず物がな、大和西・聖セシリアの通学する学生は多いですね。
ワタシダ
がしました
日産座間工場の最寄り駅ということで急行停車駅になったという話ですが実際どうなんでしょう?
距離的には小田急相模原駅の方が正門に近かったですし南林間と中央林間では距離的には変わりません。
ただ南林間は都市計画により早々に整備され住宅街として発展したから?もしくは発展させたかったから
急行停車駅にしたのではないでしょうか。
中央林間は西側にゴルフ場があったり東側も工場地帯だったりバスターミナルとしての機能も他駅より弱かったり
田園都市線の乗り換え客がなければ未だに南林間より乗降客は少ないのではないでしょうか。
それに比べて南林間は古くから商業施設も充実していたし便利な街だったと思います。
ただ厚木基地が近いので戦闘機が訓練飛行を繰り返していて常日頃その騒音被害に悩まされていたのは
住んでいた者にしかわからない気苦労でしたね。
ワタシダ
がしました
ネタによく挙がる大和学園 聖セシリアは小田急創設者の孫娘が初代校長だったから急行が停車するというものですが、これについては江ノ島線開業・大和学園開校の最初期に新宿~南林間都市を往復する通学専用列車が運行されていましたが、戦後くらいの時期には通学列車の運行が終了しています。これに関連して南林間は小田急初の待避線と引き込み線があったそうです。(引き込み線は現在の鶴間方の駐輪場辺り?)
補足ですが小田急創設者の利光鶴松とその孫の伊東静江が南林間に住んでたから、というのはハッキリと言って違います。
これは大和市が当時の小田急・林間都市計画関係者に取材した記録にて、「喜多見の豪邸に住んでいる」と答えられているためです。
→https://web.archive.org/web/20150923204150/http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000002020.pdf
ではなぜ、急行が南林間に停車するようになったのか?ですが、やはり当時国内有数規模になる日産工場が作られたことで、南林間~日産工場への通勤需要が見込めたことから、停車駅に挙がったのではないか?と。
急行停車が無くならないのは既得権ですが、快速急行と休日殆どの時間帯での急行運行廃止で、長後と一緒に不遇な扱いをされています。因みに南林間では田園都市線の直通を「小田急が」反対してます。(↑と同じく大和市の取材にて判明)
だいぶ長文になってしまったので、この辺で失礼します。
ワタシダ
がしました
同じように西武が西武遊園地駅周辺の分譲住宅販売に西武新宿駅行き始発駅とかのキャッチコピー付けて販売したため、いまだに西武遊園地駅発の西武新宿行きが朝に数本設定されてます。
ワタシダ
がしました
駅から徒歩5分の場所にある学校法人大和学園(聖セシリア)の創立者の伊東静江さんが、
小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)創立者である利光鶴松氏の娘である事から、
通学する生徒の便宜(?)を図る為と言われています。
ワタシダ
がしました
急行停車駅になったの、中央林間より先だというのに
小田急による林間都市計画の何かだと思っていたのに、それについても一言も触れないなんて…
ワタシダ
がしました