全長17.5mの車体に全電動車方式を採用していたことで、地方私鉄では使い勝手が良く、廃車後は多くが富士急行に譲渡された小田急の2200系列。
富士急行で走るイメージが強い2200系列ですが、他にも譲渡された鉄道会社があり、2220形が2両だけ新潟交通で走っていました。
新潟交通に譲渡されたのは、1984年6月30日に小田急で廃車となった2229Fで、デハ2229とデハ2230の2両でした。
1985年1月30日に竣功した同編成は、新潟交通で初の高性能車となり、同社としては大きな車体を活用して、輸送力が必要な場面で使われました。
塗装は小田急時代のままとされ、バックミラーや排障器が設置されたものの、元のイメージを強く残していました。
番号もそのままとなっており、形式称号がデハからモハに変更されたのみとなっています。
経営状況が良くなかった新潟交通は、この車両の導入で改善をしようとしたようですが、その後も利用者数は減少が続き、大きな車両は徐々に持て余す存在となっていきました。
1994年にモハ2229が事故で損傷し、その復旧時に貫通扉が埋められる改造が行われ、オリジナルとは異なる姿に変化しました。
1999年4月5日に新潟交通の電車線は廃止されますが、それより少し前の1998年11月にモハ2220形はモーターの故障を起こして休車となり、再起することはありませんでした。
東関屋にあった車両基地で、他の車両と休んでいたモハ2220形です。
他の車両とは塗装が異なっていたため、目立つ存在でした。
富士急行で走るイメージが強い2200系列ですが、他にも譲渡された鉄道会社があり、2220形が2両だけ新潟交通で走っていました。
新潟交通に譲渡されたのは、1984年6月30日に小田急で廃車となった2229Fで、デハ2229とデハ2230の2両でした。
1985年1月30日に竣功した同編成は、新潟交通で初の高性能車となり、同社としては大きな車体を活用して、輸送力が必要な場面で使われました。
塗装は小田急時代のままとされ、バックミラーや排障器が設置されたものの、元のイメージを強く残していました。
番号もそのままとなっており、形式称号がデハからモハに変更されたのみとなっています。
経営状況が良くなかった新潟交通は、この車両の導入で改善をしようとしたようですが、その後も利用者数は減少が続き、大きな車両は徐々に持て余す存在となっていきました。
1994年にモハ2229が事故で損傷し、その復旧時に貫通扉が埋められる改造が行われ、オリジナルとは異なる姿に変化しました。
1999年4月5日に新潟交通の電車線は廃止されますが、それより少し前の1998年11月にモハ2220形はモーターの故障を起こして休車となり、再起することはありませんでした。
東関屋にあった車両基地で、他の車両と休んでいたモハ2220形です。
他の車両とは塗装が異なっていたため、目立つ存在でした。
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