1960年に運用を開始し、小田急の通勤型車両としては最後の中型車となった2400形。
先頭車と中間車で長さが異なるという特徴があり、MT比を同じとすることで経済性を高めた車両です。
2400形は、クハ2450とデハ2400を2両ずつ組み合わせた4両編成で、末尾が奇数の車両が新宿方、偶数の車両が小田原方となるように組成されました。
2600形以降は末尾を同一番号で揃えるようになったので、通勤型車両でこのような番号の振り方をしたのは2400形が最後となりました。
4両編成の2400形は、輸送需要が急速に増加していく時期に増備され、4両編成が29本、合計で116両が製造されました。
それまでにない両数が製造され、一気に小田急の主力通勤型車両となっていきます。
このようにして大量増備となった2400形ですが、当初はここまで増えると想定をしていなかったのか、増備の過程で困った問題が生じます。
1編成に奇数と偶数の末尾を使うため、車両の番号が足りなくなってしまったのです。
その象徴的な車両が、今回ご紹介する2499Fです。
この編成は、新宿方からクハ2499、デハ2449、デハ2400、クハ2450となっており、小田急としては珍しい形式と車号が一致している車両が含まれています。
この時点でそれまでの車両を改番するわけにもいかず、このようになってしまったのでしょう。

その後はどうなったのかというと、2400番台の空きがなくなってしまったため、次の編成は2551Fとなりました。
2400形は2557Fまでが登場し、全29編成が出揃いました。
前述のとおり、2600形以降は末尾を同一番号で揃えるようにしたため、その後はこのようなことは発生していません。
それだけ、この時期は車両増備のペースが想定外だったということなのでしょうね。
先頭車と中間車で長さが異なるという特徴があり、MT比を同じとすることで経済性を高めた車両です。
2400形は、クハ2450とデハ2400を2両ずつ組み合わせた4両編成で、末尾が奇数の車両が新宿方、偶数の車両が小田原方となるように組成されました。
2600形以降は末尾を同一番号で揃えるようになったので、通勤型車両でこのような番号の振り方をしたのは2400形が最後となりました。
4両編成の2400形は、輸送需要が急速に増加していく時期に増備され、4両編成が29本、合計で116両が製造されました。
それまでにない両数が製造され、一気に小田急の主力通勤型車両となっていきます。
このようにして大量増備となった2400形ですが、当初はここまで増えると想定をしていなかったのか、増備の過程で困った問題が生じます。
1編成に奇数と偶数の末尾を使うため、車両の番号が足りなくなってしまったのです。
その象徴的な車両が、今回ご紹介する2499Fです。
この編成は、新宿方からクハ2499、デハ2449、デハ2400、クハ2450となっており、小田急としては珍しい形式と車号が一致している車両が含まれています。
この時点でそれまでの車両を改番するわけにもいかず、このようになってしまったのでしょう。

その後はどうなったのかというと、2400番台の空きがなくなってしまったため、次の編成は2551Fとなりました。
2400形は2557Fまでが登場し、全29編成が出揃いました。
前述のとおり、2600形以降は末尾を同一番号で揃えるようにしたため、その後はこのようなことは発生していません。
それだけ、この時期は車両増備のペースが想定外だったということなのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (2)
まだ、当編成は2400形の他の編成が奇数車クハに取り付けられていたジャンパー栓が撤去されていく中、廃車迄装備されていた編成の一つ(私の記憶では2477F、2499F、2551F、2555F、2557F)で、2200系と編成を組む為に電連は装備されては居たが、未だにジャンパー栓を使用していた為に撤去されていなかったのではないかと思います。
その為、2200形が全廃され、更に先代4000形の高性能化更新の為に2400形の機器を流用される為に廃車される訳ですが、真っ先に廃車になったのがこれらジャンパー栓装備車だった記憶が有ります。
※更新4000形第一号(4051F)の竣工が1985年、2200系全廃が1984年ですから、ジャンパー栓を使用する理由がないからではないかと推測しています。
因みに2400形の最初の廃車は2557Fだったと思います。
ワタシダ
が
しました