新百合ヶ丘から唐木田までを結び、線内折り返しの各駅停車には6両が充当されている小田急の多摩線。
10両の列車も走るようになりましたが、6両が単独で走る光景は長い間変わっていません。
多摩線といえば、廃車が近付く車両が走る路線で、昭和の終わりには2400形が走っていました。
この2400形が多摩線の運用から撤退したのは1988年で、大型車の4両編成と交代しました。
ここからが多摩線にとって珍しい期間で、大型車の4両が輸送を担いました。
4両の大型車で運行された期間はとても短く、その後多摩線は6両化されて今に至っています。
多摩線の列車が一部で6両化されたのは、1990年に唐木田まで延伸されたタイミングです。
終日に渡って6両になったのは1991年で、過渡的な期間は1年だけでした。
多摩線を大型の4両が走ったのは3年程度と、かなり短期間だったことになります。
その時期の写真はインターネット上でもあまりありませんが、それだけ短期間だったということなのです。
10両の列車も走るようになりましたが、6両が単独で走る光景は長い間変わっていません。
多摩線といえば、廃車が近付く車両が走る路線で、昭和の終わりには2400形が走っていました。
この2400形が多摩線の運用から撤退したのは1988年で、大型車の4両編成と交代しました。
ここからが多摩線にとって珍しい期間で、大型車の4両が輸送を担いました。
4両の大型車で運行された期間はとても短く、その後多摩線は6両化されて今に至っています。
多摩線の列車が一部で6両化されたのは、1990年に唐木田まで延伸されたタイミングです。
終日に渡って6両になったのは1991年で、過渡的な期間は1年だけでした。
多摩線を大型の4両が走ったのは3年程度と、かなり短期間だったことになります。
その時期の写真はインターネット上でもあまりありませんが、それだけ短期間だったということなのです。
コメント
コメント一覧 (2)
ワタシダ
がしました
最初はほとんど2400形のみで、記事の通り途中から大型4両になり、唐木田開業で6両になり、激変していく多摩線を味わってます。
実際には1987年の夏過ぎから日中3運用中1運用がほぼ大型4両に置き換わりはじめ、それもその時期ちょうど新製直後だった暖色系内装の8000形がよく運用に入り、栗平の某高校の生徒が「新車だよ!新車!」って狂喜乱舞していたのをよく覚えてます。それほど新車というか冷房車を待望してましたからね。
大型4両運用を把握してたので、中央大試験で超混雑の日に多くの人が2400形基準で並ぶ中、多摩センター駅ホームの新百合寄りで一人離れて待っていて悠然と座れた なんてこともあったりしたな。
翌年1988年は日中3運用全部が大型4両になり、大抵は8000形か5000形で4000形が入ることは稀だった気がします。「新百合=多摩センター」幕を日常的に使用した唯一の時期でしょうね。白幕5000形が残っていた時期で取り扱いを揃えたためか電動幕車もこの表示が基本でした。(たまに個別駅名幕で表示している車掌も居たが。。。。)
4番線までちゃんとあった多摩センター駅でちょこんと4両編成が発車を待っている姿は、賑わう京王と対照的で寂しいものでしたが、今思うと懐かしいです。
ワタシダ
がしました