現在はロマンスカーだけで行われるようになった、小田急の分割併合。
以前は通勤型車両でも行われており、最盛期にはほとんどの急行列車が途中駅で分割併合を行っていました。

途中駅で分割をする列車は、異なる方向に向かう列車や、種別が変わる列車が多かったため、分割する位置を示す分割案内板が使われていました。
現在は前の6両と後ろの4両という組み合わせしかありませんが、以前は多くのパターンがあったため、分割案内板も沢山設置されており、AからEまで存在していた時期があります。

分割案内板は、新宿寄りからの分割位置で分けられていました。
以前の小田急には18m級の車両が在籍しており、これらの車両も分割併合を行っていました。
これらの中型車と20m級の大型車も分割併合を行っていたため、分割位置が複雑なものとなっていたのです。

分割案内板がAからEまであった頃の、それぞれが示す位置は以下のとおりでした。
新宿方に繋がる編成を示しています。

A:18m級4両編成
B:20m級4両編成
C:20m級5両編成
D:18m級6両編成
E:20m級6両編成

このように、多くの種類が存在しました。
分割案内板Cは4000形専用で、5両を2本繋いだ10両編成でした。
分割案内板Dと分割案内板Eは、逆10両と呼ばれていた列車用のものです。

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その後、分割案内板BがAに、分割案内板EがBとなり、最終的に分割案内板Aのみとなっています。
多くの形式同士を繋いでいた小田急ならではの光景でした。