5000形のデビューにより、通勤型車両の置き換えが再び始まりそうな小田急。
先代の5000形が形式消滅して以降、通勤型車両は安定した状態が続いてきました。

1両の増減もない状態がしばらく続いてきましたが、それには大量置き換えの後だったという事情が関係していそうです。
3000形や4000形が増備されていた頃、いったいどれだけの車両が形式消滅したのでしょうか。

大量置き換えの始まりは、2000年に始まりました。
最初に廃車となったのは2600形の2666Fで、VVVFインバーター制御車からだったのです。
8両から優先的に廃車となり、そのまま6両の廃車が行われました。

2600形の廃車が終わる頃、2003年から先代の4000形も廃車が始まりました。
この頃から置き換えのペースが加速し、あっという間に3000形が増えていきました。

4000形が形式消滅すると、2005年からは名車と呼ばれた9000形の廃車が始まりました。
休む間もなく、かなりの勢いで置き換えが進んでいきました。
9000形はあっという間に消えてしまいました。

そして、9000形が形式消滅する直前、2006年には5000形にも廃車が発生します。
廃車は車齢が新しい6両から始まり、180両も在籍する5000形の全車か、そのほとんどが置き換え対象となっていることを示していました。

編成数が多いことや、ロマンスカーの置き換えもあったことから、5000形から廃車のペースは少しダウンし、全車が廃車となったのは2012年でした。
2000年に始まった通勤型車両の置き換えは12年間も続き、2600形、4000形、9000形、5000形と、4形式も消滅していったのです。

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廃車になった両数は、2600形が120両、4000形が92両、9000形が90両、5000形が180両にも達し、合計で482両にも上りました。
年平均で約40両も廃車になっていたのです。

廃車が開始された段階で在籍していた車両で残ったのは、8000形の160両、1000形の196両、2000形の24両で、合計380両しかありません。
どれだけの置き換えだったのかが、これらの両数から分かりますね。