2002年に営業運転を開始し、その後小田急の最大勢力となった3000形。
6両が最初に登場して以降、8両や10両が加わり、多くの従来形式を置き換えていきました。

3000形は元々大量に増備される計画だったようですが、それを前提とした場合に不可解なこととして、場当たり的とも感じられる車両番号の割り振りがされています。
登場した順に、車両の番号を見ていきたいと思います。

まず、最初に登場した6両は、3200番台を使用しました。
小田急としては標準的なもので、2M2Tの4両が3000番台を使用することを想定していたものと思われます。
6両の初期車は4M2Tとなっているため、この時点でデハは3500番台まで達しました。

3262Fまで登場した後、6両は3M3Tに変更され、編成内にサハが登場しました。
デハは3400番台までとなり、3500番台は使われなくなりました。

そして、6両に続いて登場したのは、各停用の8両でした。
1000形の時の流れに沿った場合は、8両だと3030番台となるところですが、こちらは3600番台を使っています。
4M4Tで3900番台までなので、ここまでは分かりやすい割り振りでした。

結果として登場しませんでしたが、車両の番号を見る限り、3000形には4両を製造する可能性があったと推定されます。
4両が登場しなかったのは、6両を10両化することになったからでしょう。
こうして登場したのが、3040番台を使用する10両でした。

6両に4両の中間車を追加して10両化が行われたのですが、1000形と同様に40番台を使用する割り振りとなりました。
8両と同様、3600番台にすれば分かりやすいのですが、番号が溢れてしまうためできなかったのです。
ここで悔やまれるのが、6両の初期車で3500番台を使っていたことで、3000形に色々と計画変更があったのだろうということを想像させます。

時は流れ、最近になって8両の10両化が行われました。
ここでさらにややこしいことが起こり、こちらは新たに3030番台を使用することとなりました。
元々が8両だからという部分では繋がりますが、とてもややこしい展開です。

20200320_05

このようにして、3000形は小田急の歴史上で最もややこしい車両番号を持つことになりました。
3030番台、3040番台、3200番台、3600番台が存在し、最終的に3000番台が使われていないというのも皮肉な結果ですね。

これでさすがに終わりそうですが、小田急のことなのでまだ何かあるかもしれません。
可能性が高いのは、将来的に6両から2両を抜いて、4両とするパターンでしょうか。
仮にそれが行われれば、3000形で初めて3000番台が登場することになるのでしょう。