2005年5月21日に運転された、小田急9000形の非公式さよなら列車。
9000形に廃車が始まった頃に運転され、前面にはヘッドマークが掲げられました。
これは団体専用列車として運転されたもので、9000形の4両で車両の指定がされていました。
しかし、前日のダイヤ乱れで予定されていた9007Fが充当できなくなってしまい、当日は9407Fがその役目を担うこととなりました。
配られた記念品の中に、詳しい運転時刻が書いてあったので、今回はそれを見ながら当日の運転を振り返ってみたいと思います。
列車は喜多見検車区から出庫し、13時18分に上り方向へと出発しました。
経堂に13時23分に到着して、そこからは13時31分に折り返して下り方向へと進みます。
向ヶ丘遊園に13時40分に到着、ここで退避をして13時47分に発車します。
相模大野に14時7分に到着し、そのまま海老名検車区大野出張所に入りました。
そこでは撮影会が行われ、思う存分9000形を撮ることができました。
今では考えられないような、豪華なイベントです。
撮影会の終了後は、15時4分に相模大野を出発して下り方向に進み、伊勢原に15時24分に到着しました。
ここで折り返しとなり、15時35分に出発すると、次は相武台前での退避です。
15時49分に到着、長めの停車で16時4分に出発し、続いて向ヶ丘遊園で最後の退避です。
ここは停車時間が短く、16時23分の到着で出発は16時27分でした。
そして、楽しかった旅にも終わりが訪れ、16時34分に成城学園前に到着しました。
走行中の車内でも様々なイベントが行われ、とても楽しい列車でした。
色々なことがうるさく言われるようになった現代では、もう運転できない列車でしょうね。
9000形に廃車が始まった頃に運転され、前面にはヘッドマークが掲げられました。
これは団体専用列車として運転されたもので、9000形の4両で車両の指定がされていました。
しかし、前日のダイヤ乱れで予定されていた9007Fが充当できなくなってしまい、当日は9407Fがその役目を担うこととなりました。
配られた記念品の中に、詳しい運転時刻が書いてあったので、今回はそれを見ながら当日の運転を振り返ってみたいと思います。
列車は喜多見検車区から出庫し、13時18分に上り方向へと出発しました。
経堂に13時23分に到着して、そこからは13時31分に折り返して下り方向へと進みます。
向ヶ丘遊園に13時40分に到着、ここで退避をして13時47分に発車します。
相模大野に14時7分に到着し、そのまま海老名検車区大野出張所に入りました。
そこでは撮影会が行われ、思う存分9000形を撮ることができました。
今では考えられないような、豪華なイベントです。
撮影会の終了後は、15時4分に相模大野を出発して下り方向に進み、伊勢原に15時24分に到着しました。
ここで折り返しとなり、15時35分に出発すると、次は相武台前での退避です。
15時49分に到着、長めの停車で16時4分に出発し、続いて向ヶ丘遊園で最後の退避です。
ここは停車時間が短く、16時23分の到着で出発は16時27分でした。
そして、楽しかった旅にも終わりが訪れ、16時34分に成城学園前に到着しました。
走行中の車内でも様々なイベントが行われ、とても楽しい列車でした。
色々なことがうるさく言われるようになった現代では、もう運転できない列車でしょうね。
コメント
コメント一覧 (1)
登場時は鉄道ファン一般の評価が高い車両でした。
千代田線直通開始で不足する大型6両編成を増備した際、9000形ではなく一つ前の5000形を増備したのは現場で使いにくいと既に判断されていたと窺わせます。
当時「鉄道ファン」で5000形増備車の記事には「5000形、9000形、新形式の三つが検討されたところ、9000形は地下鉄乗り入れ地上急行双方に使用でき、明らかに性能過剰」との当事者の話が紹介されていました。9000形に問題が無かったのなら地下鉄用装備を省いて電動車比を下げた同形式という選択もあったと思います。
ワタシダ
がしました