現在は1時間に3本の快速急行が走り、昔に比べるとかなり利便性が向上した小田急の江ノ島線。
1990年代には、まだ4両編成の列車が多く走っていたことを思い出すと、信じられないような発展です。
4両編成の列車といえば、昔の江ノ島線の急行は4両編成が主体でした。
各停には6両が走っている中、急行は短いという特殊な状況だったのです。
この現象を引き起こしていたのが、小田原線と江ノ島線の急行を併結して走らせていたという点で、前の6両が箱根湯本行き、後ろの4両が片瀬江ノ島行きといったようになっていました。
下り列車の場合、相模大野で分割を行いますが、方向が別々となるために誤乗車も多く、旅客案内上も問題となっていました。
この状態に変化が起こったのが、1992年3月に実施されたダイヤ改正です。
このダイヤ改正では、分割併合を伴う急行の運転パターンが変更され、小田原線と江ノ島線の列車を併結したパターンが激減しました。
小田原線の急行は多くが海老名での分割併合に変わり、江ノ島線の急行は相模大野で引き続き分割併合を実施するものの、6両が急行として、4両が各停として江ノ島線を走るパターンとなりました。
下り列車の場合は、相模大野で分割を行い、前の6両が急行として、後ろの4両が各停として後を追いかけるようになり、上り列車の場合は逆となって、先行する各停に急行が相模大野で追いつき、併合するようになっていました。
1993年3月のダイヤ改正では早くも4両の急行は消滅し、江ノ島線の急行は全て6両となりました。
こうして、江ノ島線の急行は輸送力がアップしました。
しかし、このパターンにもやはり問題がありました。
それは各停が4両になってしまうことでしたが、後に江ノ島線の列車が分割併合に絡まないようにし、各停についても6両が充当されるようになっていきました。
江ノ島線の4両と密接な関係にあった分割併合でしたが、発展的に解消していったということですね。
1990年代には、まだ4両編成の列車が多く走っていたことを思い出すと、信じられないような発展です。
4両編成の列車といえば、昔の江ノ島線の急行は4両編成が主体でした。
各停には6両が走っている中、急行は短いという特殊な状況だったのです。
この現象を引き起こしていたのが、小田原線と江ノ島線の急行を併結して走らせていたという点で、前の6両が箱根湯本行き、後ろの4両が片瀬江ノ島行きといったようになっていました。
下り列車の場合、相模大野で分割を行いますが、方向が別々となるために誤乗車も多く、旅客案内上も問題となっていました。
この状態に変化が起こったのが、1992年3月に実施されたダイヤ改正です。
このダイヤ改正では、分割併合を伴う急行の運転パターンが変更され、小田原線と江ノ島線の列車を併結したパターンが激減しました。
小田原線の急行は多くが海老名での分割併合に変わり、江ノ島線の急行は相模大野で引き続き分割併合を実施するものの、6両が急行として、4両が各停として江ノ島線を走るパターンとなりました。
下り列車の場合は、相模大野で分割を行い、前の6両が急行として、後ろの4両が各停として後を追いかけるようになり、上り列車の場合は逆となって、先行する各停に急行が相模大野で追いつき、併合するようになっていました。
1993年3月のダイヤ改正では早くも4両の急行は消滅し、江ノ島線の急行は全て6両となりました。
こうして、江ノ島線の急行は輸送力がアップしました。
しかし、このパターンにもやはり問題がありました。
それは各停が4両になってしまうことでしたが、後に江ノ島線の列車が分割併合に絡まないようにし、各停についても6両が充当されるようになっていきました。
江ノ島線の4両と密接な関係にあった分割併合でしたが、発展的に解消していったということですね。
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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ワタシダ
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1.急行湯本(後4海老名切り離し)
2.●急行小田原(後4大野切り離し後各停藤沢or江ノ島、長後まで先着)
3.急行江ノ島(長後で各停接続、後4大野切り離し各停藤沢or江ノ島)
この当時は急行は本鵠沼・鵠沼海岸全停だったので、長後で抜いた藤沢止まり各停を藤沢でまた待ってから発車のパターンが多かったです。
2.3の後4各停は当時主に江ノ島線急行通過駅の利用者が狙ってましたが、1.の後4を江ノ島線に充ててくれれば藤沢以遠利用者でも次の急行より先着かつ新宿直通で利用価値が高くなったのにと思ったものです。
ワタシダ
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大野で新宿からの急行が、前6両は急行のまま小田原行きとしてさっさと出発、しかも冷房付の5200や2600、9000。残った後ろ4両は各停藤沢行きになり(しかもこの位置のホームには上屋が無い!)、あとから来る本厚木行きの各停や、更にはその後の大野までの急行(ここから全車各停本厚木行きに化ける)を待ってからようやく発車なんて感じで。
しかも、中型の非冷房2400がよく充当され、夏場夕立の最中に発車を待つ間は、ホームではずぶ濡れになるから、ギュウギュウの車内でサウナ状態で待つしか無かった!
ワタシダ
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個人的には、平日の優等の江ノ島直通を捨てたことによるダイヤ安定は大きいと思っている。
しかしながら、一日中バンバン走ってた「急行 箱根湯本/江ノ島 行き」は、小田急の象徴でもあり、新宿から町田あたりまで毎日乗る通勤通学電車であっても観光地にそのままいくんだぁ、前は山に後ろは海に行く対比 というその小田急独特の空気感が失われたことは、ブランディング面では少なからず損失あったように思う。
もちろん、当時のダイヤはとんでもないダイヤであれに戻って欲しいなんで1ミリも思わないが、心象風景としてはそれだけ、高頻度で来る「急行 箱根湯本/江ノ島 行き」は、小田急民の当たり前であり、心のどこかに残る存在だった。
ワタシダ
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今後は大和以北が相鉄と競合する以上、千代田線直通も増やすべきかと思います。
だから、東林間駅と鶴間駅は小田原線栢山駅〜足柄駅の各駅と共に10両化して、江ノ島線内各駅を除いて今後は10両化必須かと思います。
江ノ島線は多摩線や小田原線に比べて混雑高い割に設備が貧弱な傾向もあり、特に藤沢駅は改良必須だと思います。
橋上駅よりは高架化して全ホーム10両対応の方が現実的かと。
全ホームを10両に出来ない要因は藤沢駅西側が勾配になっているからその解消すれば可能かと。
ワタシダ
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