急行の大型10両化を推進するため、1978年に登場した小田急5000形の6両編成。
5200形と呼ばれることも多いこのグループは、全部で20編成製造されました。
1978年から1982年の約5年間で120両が一気に製造され、この時期の輸送力増強がかなり急ピッチで進められたのが分かります。
急行の主力として小改良を行いながら使われますが、1996年度からリニューアルが施工され、細部が変化しました。
リニューアルは現在ほど大規模なものではなく、機器や外見面での変化はそれほどありません。
見方を変えると、8000形から一気に大規模なものに変化したともいえます。
大きく印象を変えたのは車内で、寒色系だった配色は暖色系となり、車椅子スペースが設置されました。
途中からは座席に握り棒が設置されたり、荷棚が網からパイプになる等、細かい変更が生じています。
外見的には変化が少なく、側扉の窓を押さえ金に変更したことが目立つ程度でした。
こちらも途中から変更が生じた部分があり、前照灯がシールドビーム化されたことで、外見の印象が大きく変わった編成もありました。
前照灯の変更で印象が変わった部分はありましたが、その後の形式のリニューアルと比べると、変化した部分は多くありません。
全編成のリニューアルが完了したのは2002年ですが、初の廃車は2006年に発生しており、この時期の車両導入計画が流動的だったことがうかがえます。
5200形と呼ばれることも多いこのグループは、全部で20編成製造されました。
1978年から1982年の約5年間で120両が一気に製造され、この時期の輸送力増強がかなり急ピッチで進められたのが分かります。
急行の主力として小改良を行いながら使われますが、1996年度からリニューアルが施工され、細部が変化しました。
リニューアルは現在ほど大規模なものではなく、機器や外見面での変化はそれほどありません。
見方を変えると、8000形から一気に大規模なものに変化したともいえます。
大きく印象を変えたのは車内で、寒色系だった配色は暖色系となり、車椅子スペースが設置されました。
途中からは座席に握り棒が設置されたり、荷棚が網からパイプになる等、細かい変更が生じています。
外見的には変化が少なく、側扉の窓を押さえ金に変更したことが目立つ程度でした。
こちらも途中から変更が生じた部分があり、前照灯がシールドビーム化されたことで、外見の印象が大きく変わった編成もありました。
前照灯の変更で印象が変わった部分はありましたが、その後の形式のリニューアルと比べると、変化した部分は多くありません。
全編成のリニューアルが完了したのは2002年ですが、初の廃車は2006年に発生しており、この時期の車両導入計画が流動的だったことがうかがえます。
コメント
コメント一覧 (6)
ドアの閉まるスピードが速い中にも、
独特の軽快さが気持ち良かった、先代5000形ですね❗✨
ワタシダ
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廃車に関しては下北沢地下化が一番の理由かと。
ワタシダ
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ワタシダ
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仰るように3000形の増備の過程で更新も流動的だったことが伺えます。
結果論ではありますが、5200形はリニューアルを行わずに8000形のリニューアルに着手していればよかったのかもしれません。
しかし、8000形も途中から足回りの改良を行う方針になったので、リニューアルが早ければ5200形と運命を共にする車両が増えていたかもしれませんね。
ワタシダ
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一部は4両になり5000形を置き換えましたが、もう少し4両化した編成が増えても良かった気がします。
一段下降窓が車体の腐食を早め、二段窓の5000形より持たなかったのでしょうけれども、いささか勿体ない気がします。
ワタシダ
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