2012年に5000形が引退したことで、小田急線上から姿を消した小田急顔の車両。
上部に2灯のライトを配置し、貫通扉を設けたその前面デザインは小田急顔と呼ばれ、一時期の小田急を代表するものでした。

通勤型車両の多くが、長年このデザインを採用した小田急でしたが、最盛期はどれぐらいの小田急顔が在籍していたのでしょうか。
そこで、最後の小田急顔である5000形が出揃った1982年に、どれぐらいの小田急顔が在籍していたかを調べてみました。

1982年は、前年に1800形の廃車が完了し、2200形の廃車が開始された年です。
2200形と5000形が一時的に全編成揃っていた時期があるため、その時の各形式の編成数を数えてみたいと思います。

2200形:9編成
2220形:8編成
2300形:2編成
2320形:4編成
2400形:29編成
2600形:22編成
4000形:22編成
5000形:35編成
9000形:18編成

このように、当時の小田急には合計で149編成の通勤型車両が在籍していました。
2両編成や4両編成の比率が高く、結果的に編成数が膨れ上がっています。

驚くのは小田急顔ではない車両の少なさで、2200形の最終編成を除いた残りの8編成と、9000形の18編成しか在籍していませんでした。
つまり、全149編成中、小田急顔ではない車両が26編成で、小田急顔の車両が123編成だったということになります。
その割合は82.6%にも達していました。

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小田急顔と呼ばれるのも納得できるほど、同じ前面デザインの車両が在籍していたのです。
8000形以降は、1000形と2000形が同じ前面デザインでしたが、それ以外は各形式で違う前面デザインを採用するようになりました。

小田急顔が見られなくなってからだいぶ経ちますが、いまだに走ってくるのではないかと感じてしまいます。
それぐらい、小田急といえばこのお顔でした。