代々木上原から登戸まで、立派な複々線となっている小田急。
数十年前はそのほとんどが複線であったことを考えると、その変化には驚かされるばかりです。

複々線化は、喜多見から和泉多摩川の区間から始まりました。
工事は1989年7月に着手され、見慣れた沿線風景は急激に変化し始めます。

電車を走らせながら行われた工事は、時折線路の位置を変更しながら高架橋が建設されていきました。
そして、1995年3月25日の終電後、ついに喜多見から和泉多摩川の区間が高架に切り替えられることになったのです。

終電から初電までの約4時間で行われた切り替え工事ですが、この区間には難工事が待ち構えていました。
それは和泉多摩川の新宿寄りにあり、世田谷通りが地上を走る小田急の線路上を跨いでいたのです。

この難工事は、予め仮設となっていた世田谷通りの陸橋を撤去し、同時に線路を切り替えて高架線を使えるようにするというものでした。
道路は地上に切り替えられるため、当然そちらの整備も行われます。
陸橋は大型クレーンで撤去され、約900人の作業員がそれぞれの持ち場で対応を行いました。

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切り替え工事は無事に完了し、同時に13ヶ所の踏切が廃止され、付近で慢性化していた道路渋滞が解消したのです。
その後も工事は進められ、1997年6月には本格的な複々線区間が完成しました。

立派な高架線の下を走る世田谷通りには、こんな物語があったのです。