2001年から製造が開始され、毎年大量の増備が行われた小田急3000形。
過去から現在まで、1形式として最も多く製造された小田急の車両となっており、全線で見ることができます。

かつてないほどの大量増備となった3000形ですが、その背景には何があったのでしょうか。
その背景を解き明かすには、通勤型車両の置き換えが全くなかった、1990年から1999年頃の空白期間が鍵となります。

昭和の終わり頃の小田急では、冷房化率を100%にして、通勤型車両を大型車に統一することを目標としていました。
1800形の廃車後、2200系列の廃車が開始されると、置き換えのペースは徐々に加速していきました。

1985年から廃車が開始された2400形は、製造開始からまだ26年程度しか経っていませんでしたが、中型車で非冷房だったことから、主電動機を4000形に譲り姿を消していきました。
こうして、1989年に小田急の目標は達成されたのです。

しかし、大量の置き換えを一気に進めた代償は大きく、ロマンスカーの置き換えを優先しなければいけない事情や、通勤型車両が足りない状況も加わり、編成単位の廃車は2000年までストップしてしまいます。
2600形を8両に組み替え、長く使うことを考えた小田急でしたが、途中でその計画は中止となり、2000年から通勤型車両の大量置き換えが開始されることになったのです。
こうして登場したのが、後に大所帯となる3000形です。

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廃車が開始された段階で、2600形は製造開始から約36年が経過していました。
しかし、問題はそれだけではなく、2600形の登場以降に通勤型車両が大量に製造されていたことから、4000形、5000形、9000形と、置き換える必要がある車両が大量に存在したのです。

3000形は毎年大量に製造され、あっという間に従来車を置き換えていきました。
大量増備となった背景には、通勤型車両の置き換えが止まっていたことで、多くの車両が古くなっていたこと、そして、その車両が過去に大量増備された期間と重なっていたことがあったのです。