斬新な前面デザインに地下鉄直通用の重装備、同じようなデザインの車両ばかりが走る1972年の小田急に、9000形が華々しくデビューしました。
将来予定されている営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れを考慮した車両で、それまでの車両とは大きくモデルチェンジが図られました。
当時の小田急は、年々輸送需要が急増している状況で、運行本数や両数を増やすことで、その需要になんとか対応している状況でした。
1964年に大型車である2600形を投入し、1969年には登場したばかりの5000形を2本繋ぎ、大型車による8両運転をスタートさせましたが、乗客の増加ペースはそれを上回っていたのです。
そこで、大型車による10両運転を計画するとともに、小田急の代々木上原から喜多見の区間を複々線化、代々木上原から先は千代田線と相互直通運転を行うこととなりました。
この直通運転に合わせて製造されたのが9000形です。
9000形の設計に際しては、地下鉄を走行するための条件に適合させる必要があり、かつ小田急線内において急行運転を行う際の高速性能も求められました。
千代田線の計画路線名称である9号線に合わせ、形式名も5000形から一気に9000形までジャンプしました。
9000形は合計で100両が製造される予定で、1972年1月から2月にかけて、まずは4両が6本竣功しました。
千代田線に直通運転を行う際には、4両に6両を繋いだ10両とすることが予定されていましたが、当面は小田急線内で5000形と組んで急行に充当するため、まずは4両から製造されたのです。
こうして、まずは小田急線内用としてデビューした9000形は、5000形等の従来車と併結して運転されたほか、単独でも使用されました。
多くの車両が同じような前面デザインだった小田急において、9000形の存在はかなり目立っていたといえます。
1次車の24両からスタートした9000形の歴史は、1978年の直通運転開始に向けて進んでいきます。
次回は、2次車以降の登場から書いていきたいと思います。
将来予定されている営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れを考慮した車両で、それまでの車両とは大きくモデルチェンジが図られました。
当時の小田急は、年々輸送需要が急増している状況で、運行本数や両数を増やすことで、その需要になんとか対応している状況でした。
1964年に大型車である2600形を投入し、1969年には登場したばかりの5000形を2本繋ぎ、大型車による8両運転をスタートさせましたが、乗客の増加ペースはそれを上回っていたのです。
そこで、大型車による10両運転を計画するとともに、小田急の代々木上原から喜多見の区間を複々線化、代々木上原から先は千代田線と相互直通運転を行うこととなりました。
この直通運転に合わせて製造されたのが9000形です。
9000形の設計に際しては、地下鉄を走行するための条件に適合させる必要があり、かつ小田急線内において急行運転を行う際の高速性能も求められました。
千代田線の計画路線名称である9号線に合わせ、形式名も5000形から一気に9000形までジャンプしました。
9000形は合計で100両が製造される予定で、1972年1月から2月にかけて、まずは4両が6本竣功しました。
千代田線に直通運転を行う際には、4両に6両を繋いだ10両とすることが予定されていましたが、当面は小田急線内で5000形と組んで急行に充当するため、まずは4両から製造されたのです。
こうして、まずは小田急線内用としてデビューした9000形は、5000形等の従来車と併結して運転されたほか、単独でも使用されました。
多くの車両が同じような前面デザインだった小田急において、9000形の存在はかなり目立っていたといえます。
1次車の24両からスタートした9000形の歴史は、1978年の直通運転開始に向けて進んでいきます。
次回は、2次車以降の登場から書いていきたいと思います。
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