同時期に登場し、似た外見を持つ形式だった小田急の2600形と4000形。
大きな違いは足回りで、2600形が完全な新製車だったのに対して、4000形は主電動機等を他の車両から流用していました。
そんな2形式でしたが、後の車両では標準となるあるものが、登場当初は設置されていませんでした。
それは何かというと、現在は設置されていて当たり前となっている側面の表示装置で、とてもすっきりとした側面だったのです。
どちらの形式も冷房化のタイミングで設置されましたが、2600形には冷房化の時期によって違いがあり、種別のみを表示する編成と、種別と行先を表示する編成が混在していました。
4000形は冷房化の時期が遅かったため、全編成が種別と行先を表示するタイプとなっています。
4000形には一部に変わり種の車両が存在し、1974年から増備された中間車にのみ側面表示の準備がされていました。
車体には穴が開いているものの、その個所は板で塞がれており、謎の窪みとなって冷房化まで走っていたのです。
今では当たり前となっている側面の表示装置、それがあることが新車の証という時代がありました。
そんなところにも、鉄道車両の進化が感じられますね。
大きな違いは足回りで、2600形が完全な新製車だったのに対して、4000形は主電動機等を他の車両から流用していました。
そんな2形式でしたが、後の車両では標準となるあるものが、登場当初は設置されていませんでした。
それは何かというと、現在は設置されていて当たり前となっている側面の表示装置で、とてもすっきりとした側面だったのです。
どちらの形式も冷房化のタイミングで設置されましたが、2600形には冷房化の時期によって違いがあり、種別のみを表示する編成と、種別と行先を表示する編成が混在していました。
4000形は冷房化の時期が遅かったため、全編成が種別と行先を表示するタイプとなっています。
4000形には一部に変わり種の車両が存在し、1974年から増備された中間車にのみ側面表示の準備がされていました。
車体には穴が開いているものの、その個所は板で塞がれており、謎の窪みとなって冷房化まで走っていたのです。
今では当たり前となっている側面の表示装置、それがあることが新車の証という時代がありました。
そんなところにも、鉄道車両の進化が感じられますね。
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