海老名駅に隣接し、約300両もの車両を収容することができる小田急の海老名検車区。
1972年12月18日のダイヤ改正から使用を開始し、小田急で最大規模を誇っています。
小田急では、高度経済成長期に輸送人員が飛躍的に増加し、それに合わせて車両数も増加していきました。
しかし、車両数の急激な増加に車両基地の収容能力が追いつかず、駅に多くの車両を滞泊させている状況となっていたのです。
主要駅は当然のことながら、側線があるほぼ全ての駅に滞泊させていたそうですから、相当深刻な状況だったのでしょう。
そこで、海老名に新しい車両基地の新設が計画され、同時に駅も大改良されることとなりました。
使用開始当初は、一部の使用のみを開始した状態で、収容能力は約150両の規模でした。
その後駅の工事が進められ、1973年12月21日に新しい駅の使用が開始されました。
この際に駅は400m程度小田原方に移転し、現在の位置となっています。

1976年には収容能力が約300両となり、早々に最大規模まで拡張されています。
この時期の車両の増加ペースが、どれだけ凄かったのかを物語っていますね。
しかし、大規模な車両基地の新設で落ち着くかと思われたのもつかの間、すぐに収容能力が不足する事態に直面してしまいました。
その後、唐木田に車両基地が新設され、経堂検車区が喜多見検車区に移転して現在に至りますが、小田急の車両基地不足は今も続いているようです。
1972年12月18日のダイヤ改正から使用を開始し、小田急で最大規模を誇っています。
小田急では、高度経済成長期に輸送人員が飛躍的に増加し、それに合わせて車両数も増加していきました。
しかし、車両数の急激な増加に車両基地の収容能力が追いつかず、駅に多くの車両を滞泊させている状況となっていたのです。
主要駅は当然のことながら、側線があるほぼ全ての駅に滞泊させていたそうですから、相当深刻な状況だったのでしょう。
そこで、海老名に新しい車両基地の新設が計画され、同時に駅も大改良されることとなりました。
使用開始当初は、一部の使用のみを開始した状態で、収容能力は約150両の規模でした。
その後駅の工事が進められ、1973年12月21日に新しい駅の使用が開始されました。
この際に駅は400m程度小田原方に移転し、現在の位置となっています。

1976年には収容能力が約300両となり、早々に最大規模まで拡張されています。
この時期の車両の増加ペースが、どれだけ凄かったのかを物語っていますね。
しかし、大規模な車両基地の新設で落ち着くかと思われたのもつかの間、すぐに収容能力が不足する事態に直面してしまいました。
その後、唐木田に車両基地が新設され、経堂検車区が喜多見検車区に移転して現在に至りますが、小田急の車両基地不足は今も続いているようです。
コメント
コメント一覧 (5)
ただ、最近の輸送障害見ていると、江ノ島線内に10両3本くらい留置できる場所がほしいですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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伊勢原は駅間の前後であれば田んぼがあり、開成も駅前周辺以外は田んぼです。
海老名が手一杯になったら、この2箇所しか余裕のある場所がありません。
伊勢原は30年前に伊勢原~愛甲石田の間の伊勢原青果市場の反対側に車両基地を作る話が
ありましたが頓挫してしまい、多摩線の唐木田に設置した経緯があります。
ワタシダ
が
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JRも高崎線の車両基地の問題があり、あそこは本庄〜新前橋間が15両に対応していない事が原因だし。
小田急は安定輸送の為に小田原線と多摩線のホームは全駅10両した方が新松田駅の余裕も取れそうだと思います。
桜ヶ丘の車両基地は県道45号の高架化を終えない限りはキツいかと。
だから大和駅〜高座渋谷駅間は高架化して、大和駅に折り返し線新設が必須だと思います。
ワタシダ
が
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次に作るとしたら桜ヶ丘駅のほとんど使っていない留置線とかを改良しても良さそうですね。
ワタシダ
が
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