2000年代に入ると、小田急では通勤型車両の本格的な置き換えが開始されました。
2600形が少しずつ数を減らし、9000形にも廃車の噂が聞こえてくるようになりました。

この時期、小田急では集電装置のシングルアーム式パンタグラフへの交換が行われていました。
5000形以降の車両で交換が行われ、9000形も2001年以降に全編成が施工されています。

2002年に湘南急行の運行が開始されると、6両の編成を中心に9000形も充当されました。
湘南急行が消えた2004年のダイヤ改正からは、4両の編成が8両で区間準急に、6両の編成は快速急行にも充当されるようになり、晩年も第一線での活躍が続きました。

攻めのダイヤ改正が行われる一方で、通勤型車両の廃車は徐々にペースが上がり、2003年からは4000形の置き換えが進められました。
そして、4000形の廃車が終わった2005年、ついに9000形からも初の廃車が発生し、9409Fが姿を消しました。

9000形の廃車は一気に進められ、2005年中に56両もの9000形が姿を消しました。
内訳は4両が8本、6両が4本で、12月に9007Fが廃車となった時点で9000形による区間準急は見ることができなくなりました。
また、4両では9001Fが唯一残りましたが、デハ9301の運転台機器が撤去されていたため、運用からは外れています。

2006年には残った6両の廃車が進められ、4両が1本、6両が2本残っている状態となったところで、3月15日からは9000形さよなら号と書かれたヘッドマークが9407Fに掲出されました。
そして、3月17日を最後に9000形は定期運用から外れたのです。

定期運用からの引退後は、残った9001Fと9407Fで10両が組まれ、4月15日には鉄道友の会の臨時列車に充当されて走行し、5月13日にはさよなら9000形フェスタが唐木田の車庫内で行われ、多くのファンに別れを告げました。

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残った2編成は、6月13日に10両で廃車回送され、9001Fのみを海老名検車区に残して9407Fは大野総合車両所に戻り、6月14日付で9000形は形式消滅しました。
その後、デハ9001のみが解体を免れ、現在は海老名検車区内で保存されています。

営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用として登場した9000形は、実際には多くの時間を小田急線内で過ごしました。
特殊な装備で社内からの評判は良くありませんでしたが、鉄道ファンにはとても人気の高い車両でした。

1両だけ残る先頭車には、きっとこの先も会える日があることでしょう。