1969年に運行を開始し、合計で60両が製造された4両の小田急5000形。
合計で15編成となっていましたが、9000形の製造に伴う中断期間があり、前期車と後期車に分かれていることが特徴です。
前期車は1969年から1971年に製造され、5051Fから5062Fまでの12編成が該当します。
5059F以降の4編成は小田急で初となる量産冷房車となっています。
ここで9000形の製造が挟まり、5000形の増備は中断しました。
9000形の増備が一段落した1976年に、後期車として5063Fと5064Fが登場しますが、多くの部分で改良が加えられ、9000形で採用された仕様が随所に見られました。
1977年には最終編成として5065Fが登場しますが、56芯ジャンパ連結器が省略され、スカートの形状も変化しました。
しかし、ここで謎なのが、9000形との関係です。
9000形は6両の編成から56芯ジャンパ連結器が省略されており、5000形の2編成にだけ復活して搭載されたということになります。
1975年の段階で、分割併合を行う車両には電気連結器が装備されていました。
つまり、5063Fと5064Fが増備される時点で56芯ジャンパ連結器は使う機会がなかったはずなのです。
装備された理由は不明ですが、設計変更が間に合わなかったか、念のため残したか、そのようなものでしょう。
その後、56芯ジャンパ連結器は各形式で撤去が進められ、5000形も全編成が撤去されています。
過渡期ならではの謎として残った、5000形の後期車に装備された56芯ジャンパ連結器。
実際に使う機会があったのか気になりますね。
合計で15編成となっていましたが、9000形の製造に伴う中断期間があり、前期車と後期車に分かれていることが特徴です。
前期車は1969年から1971年に製造され、5051Fから5062Fまでの12編成が該当します。
5059F以降の4編成は小田急で初となる量産冷房車となっています。
ここで9000形の製造が挟まり、5000形の増備は中断しました。
9000形の増備が一段落した1976年に、後期車として5063Fと5064Fが登場しますが、多くの部分で改良が加えられ、9000形で採用された仕様が随所に見られました。
1977年には最終編成として5065Fが登場しますが、56芯ジャンパ連結器が省略され、スカートの形状も変化しました。
しかし、ここで謎なのが、9000形との関係です。
9000形は6両の編成から56芯ジャンパ連結器が省略されており、5000形の2編成にだけ復活して搭載されたということになります。
1975年の段階で、分割併合を行う車両には電気連結器が装備されていました。
つまり、5063Fと5064Fが増備される時点で56芯ジャンパ連結器は使う機会がなかったはずなのです。
装備された理由は不明ですが、設計変更が間に合わなかったか、念のため残したか、そのようなものでしょう。
その後、56芯ジャンパ連結器は各形式で撤去が進められ、5000形も全編成が撤去されています。
過渡期ならではの謎として残った、5000形の後期車に装備された56芯ジャンパ連結器。
実際に使う機会があったのか気になりますね。
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