1980年に営業運転を開始し、晩年は旧塗装化によってファンを楽しませてくれた小田急のLSE。
合計で4編成が製造されましたが、元々はSEを置き換えるために計画されたロマンスカーでした。
新型特急車の検討が具体化する頃、元々は10年程度での置き換えを想定していたSEが、継続して使用されている状態でした。
そこで、SEを引退させてNSEを短編成化し、不足する長編成は新型特急車を導入するといった検討が行われていました。
検討が進む中で、新型特急車は短編成と長編成で詳細な設計が行われるようになりました。
社内では前者をSXE、後者をLXEと仮称し、検討が進められていきました。
こうして1980年にLSEの第1編成が製造されますが、これはNSEと同様の11両編成となりました。
その後も増備が続きますが、短編成は登場せず、11両が4編成製造されたところでLSEの増備は終了しました。
SEの置き換えを考えていたLSEは、結局NSEと同列の車両となってしまいました。
LSEの増備に伴い、SEは一部の編成が廃車となりましたが、抜本的な置き換えは先送りされることとなります。
その後、SEには車体修理が施工され、1991年まで定期運用で使われることとなりました。
幻となってしまった短編成のLSEは、実現していたらどんなロマンスカーになっていたのでしょうか。
短い編成で展望席があるというロマンスカー、そんな姿を見てみたかった気もします。
合計で4編成が製造されましたが、元々はSEを置き換えるために計画されたロマンスカーでした。
新型特急車の検討が具体化する頃、元々は10年程度での置き換えを想定していたSEが、継続して使用されている状態でした。
そこで、SEを引退させてNSEを短編成化し、不足する長編成は新型特急車を導入するといった検討が行われていました。
検討が進む中で、新型特急車は短編成と長編成で詳細な設計が行われるようになりました。
社内では前者をSXE、後者をLXEと仮称し、検討が進められていきました。
こうして1980年にLSEの第1編成が製造されますが、これはNSEと同様の11両編成となりました。
その後も増備が続きますが、短編成は登場せず、11両が4編成製造されたところでLSEの増備は終了しました。
SEの置き換えを考えていたLSEは、結局NSEと同列の車両となってしまいました。
LSEの増備に伴い、SEは一部の編成が廃車となりましたが、抜本的な置き換えは先送りされることとなります。
その後、SEには車体修理が施工され、1991年まで定期運用で使われることとなりました。
幻となってしまった短編成のLSEは、実現していたらどんなロマンスカーになっていたのでしょうか。
短い編成で展望席があるというロマンスカー、そんな姿を見てみたかった気もします。
コメント
コメント一覧 (5)
御殿場線にNSEが乗り入れなかったのは御殿場線のような単線のローカル線(元は東海道本線だが)で2階に運転席があるような車両を安全に運行する事は出来ないと国労、動労が主張した為というのが通説のようですが、国鉄当局も展望室があるNSEと165系のサービス格差を気にして労組の主張に乗ったのではないのでしょうか。
ワタシダ
がしました
1970年代後半から国鉄は新形式車両の導入を抑制するようになりました。同一規格によるコスト削減を目指すとともに、厳しい要求を積み上げる組合との交渉を避けるためです。小田急はじめ私鉄各社が新型通勤車両を短い間隔で登場させている間、国鉄では103系を延々と増備し続けました。しかしあさぎりは乗り入れ列車で国鉄は車両整備は行いません。当時の国鉄の新車不歓迎の姿勢がここでも働いたのか不明です。
7000形が登場した1980は東京ー御殿場間の急行ごてんばも運転されていました。国府津まで急行東海か急行伊津に連結していました。小田急からの乗り入れと東海道本線からの乗り入れで御殿場線の優等列車は現在より多かったのです。急行ごてんばは1985年に廃止されました。
短編成の御殿場特急は長編成の箱根特急、江ノ島特急と併結して運転することを考えていた可能性は無いでしょうか。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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もしもあればどうやって読むのでしょうかね。
ワタシダ
がしました