多摩線の開業に合わせ、1974年6月1日に開業した小田急の新百合ヶ丘駅。
開業当初は周辺に何もない駅でしたが、現在はかなり発展し、利用者数も増加しました。

その新百合ヶ丘ですが、設置された理由には、多摩線の開業と密接な関係があります。

多摩ニュータウンと都心を結ぶ路線として計画された多摩線は、当初喜多見から分岐することが検討されました。
しかし、多摩川に架橋が必要なことや、京王相模原線とルートが重複してしまうことから、百合ヶ丘付近で分岐することとなりました。

ここで問題となったのが、百合ヶ丘から多摩線をどうやって分岐させるかという点でした。
百合ヶ丘は将来的な拡張を想定した構造にはなっていたものの、駅の両側を道路に挟まれた峠の頂上にあり、支線を分岐させられるほどのスペースはありませんでした。
それに加えて、百合ヶ丘から柿生までの区間は曲線が連続している運転の難所でもありました。

そこで、小田原線の線形改良を行い、新たに新百合ヶ丘を設置、多摩線の分岐駅とすることになったのです。
元々の小田原線は世田谷町田線に沿うように走っており、新百合ヶ丘を新宿方に少し進んだ付近からカーブし、小田原方は現在保線車両の基地となっている付近に繋がっていました。

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この線形改良によって、4ヶ所の踏切が廃止され、急曲線も解消しました。
新百合ヶ丘から分岐した多摩線はすぐに高架へと上がり、小田原線とは立体交差することが可能となり、踏切も設置されずに済むこととなったのです。

40年以上が経過した現在、旧線の面影はほとんど残っていませんが、土地の形状等に名残があるようです。
そして、多摩線の建設とそれに伴う線形改良で誕生した新百合ヶ丘は、川崎市の副都心として今日も発展を続けています。