相模大野から分岐し、藤沢を経由して片瀬江ノ島に至る小田急の江ノ島線。
2002年に湘南急行が登場して以降は利便性が向上し、近年は快速急行が20分に1本の間隔で走っています。
そんな江ノ島線の中ほどに、湘南急行の登場以降で明暗が分かれた駅があります。
長後と湘南台、今回はこの2駅の逆転劇を見てみたいと思います。
江ノ島線の開業時に設置されたのは長後でした。
当時の駅名は新長後で、1958年に現在の駅名に改称されました。
昔は貨物の扱いも行われており、高座芋等の農産物を都会に出荷し、栄えていたのです。
その後、宅地化の進展や自動車工場の進出で乗降客数が伸びていきました。
昔は南林間、大和に続く急行の停車駅で、各停と急行の接続も頻繁に行われていました。
対する湘南台は、1966年に開業した江ノ島線内で最も新しい駅です。
藤沢市の北部第一土地区画整理事業に伴い開業した駅で、藤沢市の北部に新たな中心地を形成することを目的としていました。
開業以降、湘南台の乗降客数は順調に増加し、交通の拠点として発展してきました。
1999年には、相模鉄道のいずみ野線、横浜市営地下鉄のブルーラインが相次いで延伸開業し、3路線が乗り入れる拠点駅となりました。

順調に発展を続ける湘南台に対し、長後の乗降客数は1991年度以降減少に転じます。
1995年度には湘南台が長後の乗降客数を抜き、湘南台に相模鉄道と横浜市営地下鉄が乗り入れるようになると、乗降客数の差は一気に開いていきました。
そして、2002年に運行を開始した湘南急行は、長後を通過して湘南台に停車することとなりました。
湘南急行の後継種別となる快速急行も同様で、両駅の立場は完全に逆転してしまったのです。
現在も乗降客数が増えている湘南台。
拠点駅として今後さらに発展していきそうですね。
2002年に湘南急行が登場して以降は利便性が向上し、近年は快速急行が20分に1本の間隔で走っています。
そんな江ノ島線の中ほどに、湘南急行の登場以降で明暗が分かれた駅があります。
長後と湘南台、今回はこの2駅の逆転劇を見てみたいと思います。
江ノ島線の開業時に設置されたのは長後でした。
当時の駅名は新長後で、1958年に現在の駅名に改称されました。
昔は貨物の扱いも行われており、高座芋等の農産物を都会に出荷し、栄えていたのです。
その後、宅地化の進展や自動車工場の進出で乗降客数が伸びていきました。
昔は南林間、大和に続く急行の停車駅で、各停と急行の接続も頻繁に行われていました。
対する湘南台は、1966年に開業した江ノ島線内で最も新しい駅です。
藤沢市の北部第一土地区画整理事業に伴い開業した駅で、藤沢市の北部に新たな中心地を形成することを目的としていました。
開業以降、湘南台の乗降客数は順調に増加し、交通の拠点として発展してきました。
1999年には、相模鉄道のいずみ野線、横浜市営地下鉄のブルーラインが相次いで延伸開業し、3路線が乗り入れる拠点駅となりました。

順調に発展を続ける湘南台に対し、長後の乗降客数は1991年度以降減少に転じます。
1995年度には湘南台が長後の乗降客数を抜き、湘南台に相模鉄道と横浜市営地下鉄が乗り入れるようになると、乗降客数の差は一気に開いていきました。
そして、2002年に運行を開始した湘南急行は、長後を通過して湘南台に停車することとなりました。
湘南急行の後継種別となる快速急行も同様で、両駅の立場は完全に逆転してしまったのです。
現在も乗降客数が増えている湘南台。
拠点駅として今後さらに発展していきそうですね。
コメント
コメント一覧 (9)
ワタシダ
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ただ、藤沢市自体が市北部は南部に比べて発展があまり良くなく、市長選の投票率が市北部を中心に低いので、湘南台は横浜はとにかく新宿や東京都心だと海老名か辻堂に出る人が多くいるように思えます。
海老名は厚木だけでなく町田や藤沢の客も吸い取っているのはそこにあるかと思います。
東京都心だと湘南台より海老名の方が早く、向こうは特急も停車するからその影響も非常に大きいかと。
湘南台と長後の逆転だけでなく、海老名は今後は藤沢駅を抜いて5位になりそうな気がします。
故に湘南台は長後と逆転したが、湘南台が今ひとつなのは藤沢市が市北部の開発を疎かにした事もありそうです。
ワタシダ
が
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小田急自身長後を2面4線(渡り線あり)のまま10両対応したのに対し、湘南台は10両対応といえ2面2線のままにしているあたり、そこまで拠点として重視する価値はないと考えているのではないでしょうか。
※ていうかもっと長後の既存の設備をダイヤに活かしたほうが良いのでは?とも
ワタシダ
が
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小田急では他に登戸と向ヶ丘遊園がそうですし、他社で見ると京王線の府中(乗換駅ではありませんが両隣の東府中と分倍河原がそれに当てはまり、後者は南武線との乗換駅で2013年以降は特急も停車するようになったのであまり問題ないのですが、前者は昨今利用客数が減少傾向にあり、特急も準特急も停まりません)、西武の所沢(新宿線の東村山や池袋線の西所沢と乗換駅が続きますが、後者は快速急行が停まりません)、東武の新越谷(隣の越谷も急行停車駅ですがこちらは越谷市の中心駅なので前述の各駅とはあまり単純に比較する意味はないでしょう)や朝霞台(こちらは逆に隣の志木が利用客が多く、快速急行などは朝霞台を通過します)、など色々例があります。
ワタシダ
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もともと相鉄線と地下鉄は長後に乗り入れる予定ではありましたが、若い人は賛成しても、商店街のお偉いさんが店を潰す気かと猛反発したそうで。基本ジジイである当時のお偉いさんは商店街は無敵だと考えていたそうで、当時は今以上に年功には逆らえなかった社会だったもので頓挫。その結果スーパーの時ャッター街…もちろん商店街の人たちのプライドがズタズタに…
まぁあれだけ埋まっちゃっている街を再開発するのは至難だったのか、市も諦めていたんでしょうね。そりゃ何もないところを開発しますわ。
ちなみにこのパターンは藤沢駅と藤沢宿(藤沢本町駅周辺)も一応当てはまります。こちらの理由は汽車の蒸気を嫌った結果ではありますが…
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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