旧形式の主電動機等を流用し、1966年に製造が開始された小田急の4000形。
1976年までに92両が製造され、近代的な車体とは不釣り合いな、吊り掛け駆動の走行音を奏でるのが特徴でした。
この4000形には多くの形式から主電動機が流用されていますが、そもそも小田急にはどのような吊り掛け駆動の形式が存在したのでしょうか。
小田急では、1954年に登場した2200形が初めてカルダン駆動を採用し、高性能車の時代が始まりました。
その後の形式は基本的に高性能車となりますが、ほとんどの車両は最終的に4000形へと更新されたため、長期に渡って吊り掛け駆動の車両自体は残ることとなったのです。
小田急の通勤型車両で吊り掛け駆動だった形式は、1100形、1200形、1300形、1400形、1500形、1600形、1800形、1900形、2100形でした。
この他にも、派生形式や編入が行われた形式もあり、細かく説明すると複雑になるため、今回は割愛します。
変わり種だったのは1800形で、元は国鉄の63系であったことから、他の形式とは多くの部分で異なる機器を搭載していました。
改造を繰り返すことで、徐々に小田急らしい車両となっていきましたが、搭載する多くの機器はそのままでした。
そして、ロマンスカーにも吊り掛け駆動の車両がありました。
後に通勤型車両に格下げされた1910形と1700形で、これらの車両も最終的には4000形に主電動機を提供しています。
4000形が登場するまでは、多くの雑多な形式が活躍していた小田急でしたが、そのほとんどが4000形に集約されていったのです。
小田急の吊り掛け駆動車といえば4000形というイメージですが、多くの形式を更新し、最終的に集約されていったという背景が関係しているのかもしれませんね。
1976年までに92両が製造され、近代的な車体とは不釣り合いな、吊り掛け駆動の走行音を奏でるのが特徴でした。
この4000形には多くの形式から主電動機が流用されていますが、そもそも小田急にはどのような吊り掛け駆動の形式が存在したのでしょうか。
小田急では、1954年に登場した2200形が初めてカルダン駆動を採用し、高性能車の時代が始まりました。
その後の形式は基本的に高性能車となりますが、ほとんどの車両は最終的に4000形へと更新されたため、長期に渡って吊り掛け駆動の車両自体は残ることとなったのです。
小田急の通勤型車両で吊り掛け駆動だった形式は、1100形、1200形、1300形、1400形、1500形、1600形、1800形、1900形、2100形でした。
この他にも、派生形式や編入が行われた形式もあり、細かく説明すると複雑になるため、今回は割愛します。
変わり種だったのは1800形で、元は国鉄の63系であったことから、他の形式とは多くの部分で異なる機器を搭載していました。
改造を繰り返すことで、徐々に小田急らしい車両となっていきましたが、搭載する多くの機器はそのままでした。
そして、ロマンスカーにも吊り掛け駆動の車両がありました。
後に通勤型車両に格下げされた1910形と1700形で、これらの車両も最終的には4000形に主電動機を提供しています。
4000形が登場するまでは、多くの雑多な形式が活躍していた小田急でしたが、そのほとんどが4000形に集約されていったのです。
小田急の吊り掛け駆動車といえば4000形というイメージですが、多くの形式を更新し、最終的に集約されていったという背景が関係しているのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (2)
恐れ入りますが、いろいろ間違っておられますので訂正をかねて。
HBは更新してはおりましたが、2ドア車で収容力が劣り、HB×4より、4000×3のほうがよほど有利でした。つまり車体の大型化ということのほうが主たる理由です。これは2600の大形車体の影響があると思います。
4000には主電動機の他にも流用されているものがあります。ドアエンジン、扇風機、CP、パンタなど。そのためコスト的にはもう少しダウンされていると思いますが、コスト云々より、とにかく収容力を上げて、限りあるスジを使いたかったというのが本音です。
更新後の4000は、制御器の数としては1C8M制御に改造されているので、5000と同じです。
緊急の5連化については、将来的に10連運転とする場合、性能を下げないでかつ一番手戻りが少ないようにするには、低加速なABF車の残りを潰して4000の約半数の5連化が一番現実的でした。じっさい4000×5×2の10連急行は後年朝を中心に走っています。M出力が93.3Kwしかない主電動機を再用する関係でMT比が下げられなかったというのと、1M車を入れることとすると、制御器に異なる形式のものを採用しなければならないので、コスト的にもきびしくなるためです。
以上、鉄道ピクトリアルなどに書かれている記事に基づく話です。
ワタシダ
がしました
少なくとも、緊急事態だったとはいえ、5連化は愚策だった。
ワタシダ
がしました