前面に貫通扉を備え、上部に前照灯を備えるデザインが定番だった小田急。
このデザインは小田急顔と呼ばれ、多くの形式が同様のデザインとなっていました。

2600形で20m級の大型車体を本格的に採用し、その際も小田急顔とした小田急では、その後4000形と5000形でも同様のデザインを採用しました。
5000形は2600形の後に製造された形式ですが、4000形は旧型車から主電動機等を流用した車体更新車だったため、2600形と並行して増備されていました。

そして、1968年に2600形の増備は終了し、1969年からは5000形の増備が始まりました。
しかし、5000形の増備が開始された後も4000形は増備が続き、1970年に増備された4000形の2編成は、前面デザインこそ従来と同様ですが、乗務員扉の手すりが下方に延長されており、5000形と同様になっていました。

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仕様が違うのは4021Fと4022Fで、旧性能車時代は最後まで3両だった編成です。
高性能化の際、4022Fが4254Fに、4021Fが4258Fに組み込まれ、新宿方の先頭車は中間車化されました。
小田原方の先頭車のみが種車の仕様を残しており、クハ4554とクハ4558のみが手すりの長い異端車となっていました。

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4000形の増備は、中間車のみ1976年まで行われたため、9000形とも並行して増備されていました。
しかし、9000形の仕様が4000形に取り入れられることはなく、軽微な変更にとどまっています。

小田急は同一編成内での仕様を極力統一する傾向があり、従来車に仕様を合わせたのでしょう。
手すりの違いはかなり細かい差異ですが、4000形の増備が5000形と並行していたことを示す貴重な証でした。