営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線用の車両として、1971年に量産車が登場した6000系。
特徴的な前面デザインや、様々な最新技術を導入した革命的な車両でした。
大手町から霞ヶ関までの延伸開業に合わせて登場した量産車は、残りの区間の延伸に合わせて数を増やし、1978年の小田急への直通運転開始に合わせて6121Fまでが出揃いました。
こうして1978年から小田急線上も走るようになった6000系ですが、それまでの小田急にはなかった技術も同時に持ち込みました。
その中の一つに電気指令式ブレーキがあり、2ハンドルではあったものの、小田急線上で初めての走行実績となったのです。
小田急では、1980年に登場したロマンスカーのLSEで初めて電気指令式ブレーキを採用、通勤型車両は1993年まで電磁直通ブレーキでしたから、6000系がかなり早い段階で持ち込んだことになります。
そんな6000系は既に過去帳入りし、小田急もほとんどの車両が電気指令式ブレーキとなりました。
直通運転もJR東日本を巻き込んだ大規模なものとなり、年々発展を続けています。
まだ9000形ぐらいしか目立つ車両がいなかった当時の小田急では、6000系も相当目立つ存在だったのでしょうね。
特徴的な前面デザインや、様々な最新技術を導入した革命的な車両でした。
大手町から霞ヶ関までの延伸開業に合わせて登場した量産車は、残りの区間の延伸に合わせて数を増やし、1978年の小田急への直通運転開始に合わせて6121Fまでが出揃いました。
こうして1978年から小田急線上も走るようになった6000系ですが、それまでの小田急にはなかった技術も同時に持ち込みました。
その中の一つに電気指令式ブレーキがあり、2ハンドルではあったものの、小田急線上で初めての走行実績となったのです。
小田急では、1980年に登場したロマンスカーのLSEで初めて電気指令式ブレーキを採用、通勤型車両は1993年まで電磁直通ブレーキでしたから、6000系がかなり早い段階で持ち込んだことになります。
そんな6000系は既に過去帳入りし、小田急もほとんどの車両が電気指令式ブレーキとなりました。
直通運転もJR東日本を巻き込んだ大規模なものとなり、年々発展を続けています。
まだ9000形ぐらいしか目立つ車両がいなかった当時の小田急では、6000系も相当目立つ存在だったのでしょうね。
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ワタシダ
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