長年に渡って採用され続けた小田急顔、その前面デザインを採用した最後の形式が5000形です。
2代目の5000形が登場し、徐々に先代と呼ばれる機会が増えているこの車両の歴史を、何回かに分けて振り返っていきたいと思います。

1964年に登場した2600形から、小田急は本格的な大型車の時代に突入しました。
前面のデザインは従来の車両を踏襲しましたが、拡幅車体に4扉を採用し、大幅な輸送力増強が図られました。
その後、2600形に続いて従来車から機器を流用した4000形が登場し、小田急の大型車は徐々に増加していくこととなります。

大型車の導入で輸送力の増強を進めた小田急でしたが、これらの車両は主として各停用の形式でした。
急行として十分な性能を持っているとはいえず、2200形や2400形が優等列車には使われていました。

そこで、大型車による8両での運転を開始するのに合わせ、急行用の車両として登場したのが5000形です。
設計最高速度を120km/hとして高速性能を重視した反面、起動加速度は抑えられています。

2600形の車体に2400形の機器を組み合わせたような車両に仕上がっており、急行用として安定した性能が追及されました。

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5000形は1969年に1次車として4編成が製造され、11月24日のダイヤ改正から8両での運転が開始されました。
製造当初は非冷房で、前面のスカートもなかったため、後年とはだいぶ印象の異なる姿でした。
1970年には2次車としてさらに4編成が登場し、5000形は合計で8編成となっています。

ところで、5000形の登場より前の1968年に、通勤型車両に冷房を搭載する試験を行うため、2400形のクハ2478に冷房装置が搭載されました。
5000形は非冷房で登場しましたが、2400形の試験を受けて3次車からは冷房車とすることになり、2次車が編成単位で登場した最後の非冷房車となっています。

次回は小田急の通勤型で最初の量産冷房車となった、3次車の登場から書いていきたいと思います。