立派な複々線が完成し、大幅な輸送力増強を達成した小田急。
代々木上原付近を別とした場合、最初に複々線が完成したのは喜多見から和泉多摩川の区間でした。
小田急で初めて本格的な複々線となったこの区間ですが、同時に高架化が行われたこともあり、昔からの景色は全て失われました。
駅舎やホームは全て新しくなり、当時の各停はまだ8両までだったものの、将来のことを考えて10両分のホームが設けられています。
ホームの通常は使わない部分には柵が設けられており、乗客が立ち入らないようにされていました。
しかし、その区間の中で例外となっている駅がありました。
多摩川橋梁を架け替える関係で、和泉多摩川から登戸の区間は着工が遅れ、一部の複々線が完成した後も昔からの橋梁に繋がっていました。
そのために和泉多摩川は10両分のホームを設けることができず、暫定的に8両分のホームとなっていました。
8両分しかホームがなかった頃の和泉多摩川はこのようになっており、ホームの終端が現在と異なっています。
この頃は上りのみが新しい橋梁に切り替わっており、工事の進捗によってあっという間に景色が変化していきました。
和泉多摩川のホームは2008年から延伸工事が始まり、2009年に多摩川橋梁の複々線が使用を開始するのに合わせて完成しました。
延伸部分は若干既存のホームと異なる部分があり、注意深く見ると現在も違いが分かります。
大変な工事を経て完成した小田急の複々線。
完成から時間が経ち、このようなエピソードも徐々に忘れられていくのかもしれませんね。
代々木上原付近を別とした場合、最初に複々線が完成したのは喜多見から和泉多摩川の区間でした。
小田急で初めて本格的な複々線となったこの区間ですが、同時に高架化が行われたこともあり、昔からの景色は全て失われました。
駅舎やホームは全て新しくなり、当時の各停はまだ8両までだったものの、将来のことを考えて10両分のホームが設けられています。
ホームの通常は使わない部分には柵が設けられており、乗客が立ち入らないようにされていました。
しかし、その区間の中で例外となっている駅がありました。
多摩川橋梁を架け替える関係で、和泉多摩川から登戸の区間は着工が遅れ、一部の複々線が完成した後も昔からの橋梁に繋がっていました。
そのために和泉多摩川は10両分のホームを設けることができず、暫定的に8両分のホームとなっていました。
8両分しかホームがなかった頃の和泉多摩川はこのようになっており、ホームの終端が現在と異なっています。
この頃は上りのみが新しい橋梁に切り替わっており、工事の進捗によってあっという間に景色が変化していきました。
和泉多摩川のホームは2008年から延伸工事が始まり、2009年に多摩川橋梁の複々線が使用を開始するのに合わせて完成しました。
延伸部分は若干既存のホームと異なる部分があり、注意深く見ると現在も違いが分かります。
大変な工事を経て完成した小田急の複々線。
完成から時間が経ち、このようなエピソードも徐々に忘れられていくのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (2)
1970年代の配線設計であそこに安全側線入れなかったのは不自然で、後年、過走防止が出来るようになり、かつ一時的に成城退避が困難になることから計画変更されたと勝手に思っているが、留置線構造だった都市計画図が見当たらない。歴史は埋もれていく。
ワタシダ
がしました
地上駅時代は踏切もあったけど高架化されてなくなったように思います。
登戸駅も2面4線に変わって、南武線のアクセスが便利になったと思いますね。
ワタシダ
がしました