1964年に登場し、小田急としては最初の本格的な大型車となった2600形。
その後の小田急は一気に大型車が主力となり、年々輸送力を増強していきました。
最後の中型車である2400形が形式消滅した後、小田急では長い間編成単位での通勤型車両の廃車はなく、2600形は2000年が近付いてもほとんどが現役でした。
しかし、登場から35年以上が経過した車体には老朽化が目立ち始め、2000年から本格的な置き換えが開始されました。
8両を2000形で一気に置き換え、その後は新形式である3000形が登場し、2600形は急速に減少を始めます。
2003年に2663Fが廃車となったことで、残るのは2670Fの1編成のみとなり、いよいよ形式消滅が秒読みかとなった頃、2600形が旧塗装になるという噂が聞こえてくるようになりました。
そして、その噂は現実となり、2670Fは2003年9月18日を最後に一旦営業運転から離脱、翌月に旧塗装化された姿で奇跡の復活を果たしたのです。
晩年の2600形は、各停から急行まで幅広く使われ、箱根登山線にも顔を出しました。
全線を走り回る旧塗装の車両は注目を集め、多くの撮影者が小田急に集まることとなります。
現在の赤い1000形が全線を走るのに似た状況でしたが、当時はどこを走っているのかを把握するのがそもそも大変で、今よりもかなり苦労して追っかけていたように記憶しています。
運用が今のように簡単には分からず、リアルタイムで情報を集めることも容易ではなかったため、撮影に出掛けてから来るのを待つというのも普通のことでした。
たった1編成の2600形として、旧塗装化によって大注目の2670Fでしたが、引退の日は少しずつ近付きます。
そして、ついに2004年6月5日のさよなら運転をもって運用を離脱、その歴史に幕を下ろしました。
小田急の通勤型車両の引退で、ここまでの盛り上がりを見せたのは2600形が一番だったように思います。
今このようなことをしたら、トラブルが続出してしまうでしょうから、もう実施できないでしょうね。
その後の小田急は一気に大型車が主力となり、年々輸送力を増強していきました。
最後の中型車である2400形が形式消滅した後、小田急では長い間編成単位での通勤型車両の廃車はなく、2600形は2000年が近付いてもほとんどが現役でした。
しかし、登場から35年以上が経過した車体には老朽化が目立ち始め、2000年から本格的な置き換えが開始されました。
8両を2000形で一気に置き換え、その後は新形式である3000形が登場し、2600形は急速に減少を始めます。
2003年に2663Fが廃車となったことで、残るのは2670Fの1編成のみとなり、いよいよ形式消滅が秒読みかとなった頃、2600形が旧塗装になるという噂が聞こえてくるようになりました。
そして、その噂は現実となり、2670Fは2003年9月18日を最後に一旦営業運転から離脱、翌月に旧塗装化された姿で奇跡の復活を果たしたのです。
晩年の2600形は、各停から急行まで幅広く使われ、箱根登山線にも顔を出しました。
全線を走り回る旧塗装の車両は注目を集め、多くの撮影者が小田急に集まることとなります。
現在の赤い1000形が全線を走るのに似た状況でしたが、当時はどこを走っているのかを把握するのがそもそも大変で、今よりもかなり苦労して追っかけていたように記憶しています。
運用が今のように簡単には分からず、リアルタイムで情報を集めることも容易ではなかったため、撮影に出掛けてから来るのを待つというのも普通のことでした。
たった1編成の2600形として、旧塗装化によって大注目の2670Fでしたが、引退の日は少しずつ近付きます。
そして、ついに2004年6月5日のさよなら運転をもって運用を離脱、その歴史に幕を下ろしました。
小田急の通勤型車両の引退で、ここまでの盛り上がりを見せたのは2600形が一番だったように思います。
今このようなことをしたら、トラブルが続出してしまうでしょうから、もう実施できないでしょうね。
コメント
コメント一覧 (1)
塗装といえば、8257Fか8052Fの最後の検査時に登場時のポケット号塗装にすればかなり盛り上がるとは思いますが、沿線が面倒なことになるのはカンベンですなー。
2400形の最後の本線走行を座間駅でひとり見送った時代があったなぁ。。。。。
ワタシダ
がしました