新型車両である5000形が登場し、古い車両の置き換えが開始された小田急。
5000形では拡幅車体や張り上げ屋根が復活し、小田急ファンとして嬉しく思います。

一昔前は、小田急の通勤型車両といえばという伝統は他にも色々とあり、今回はそれらを振り返ってみましょう。

まずは前面のスタイルですが、半径5,000mmか6,000mmで緩やかにカーブしており、貫通扉の脇には大きな手すりが付いています。
デザインが違っていても、どこか統一感があるのはこのためで、3000形の前面が異質に感じられた要因の一つとなっています。

外見的な伝統としては、5000形で復活した拡幅車体や張り上げ屋根といった部分の他に、幅が300mmの青い帯を巻いているという点があります。
前面や一部形式で例外はありましたが、長く続いた伝統でした。
5000形ではついにこの伝統が崩れ、2色の帯を巻く姿となりました。

そして、もう一つ大切な要素となっていたのが、3000形の1次車まで採用された戸袋窓です。
車内を明るくするということを目的に、小田急では伝統的に戸袋窓を設けていましたが、世の中の流れには逆らえませんでした。

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機器の観点でも見てみましょう。
外見的なイメージにも作用しますが、長く採用され続けたものとして、集約分散式の冷房装置があります。
車内が均一に冷えるという点を好んで採用していましたが、3000形以降は集中式に変わりました。

足回りに目を移すと、住友金属工業のアルストムリンク式の台車を履くという伝統もありました。
これは2200形から1000形まで続きましたが、2000形の登場でついに途絶えてしまいました。

制御装置や電装品に、三菱電機の製品を採用するというのも伝統です。
これは5000形でも同様ですから、これからも続いていく数少ない伝統かもしれません。

このように、小田急には数多くの伝統と表現できる部分がありました。
伝統といえば簡単ですが、実際には早くから標準化の思想があったことが影響していると考えられ、小田急には先見の明があったといえるでしょう。