現在も名車として語り継がれている、小田急のSEとNSE。
どちらもロマンスカーの基礎を築き上げた車両で、小田急のブランド価値向上に寄与しました。
その後、LSEやHiSEの登場へと繋がっていったこれらの2形式ですが、客用扉は手動式の内開き戸となっていました。
LSEからは自動式とされましたが、SEやNSEは最後まで手動式のままで、電動ロック装置の設置以外は大きな改造も行われていません。
扉が手動というのは、今の小田急からは想像もできない状況ですが、どのように客扱いをしていたのでしょうか。
まず、昔のロマンスカーは乗車口が限定されており、全ての扉から乗り降りができたわけではありません。
これは乗車前に特急券の確認が行われていたためで、乗車口に並んだ乗客が、特急券を見せながら乗り込んでいく光景が日常でした。
そして、気になるのは手動式の扉はどうやって開けていたのかです。
電車が駅に着いても、当然扉は自動で開きません。
駅に到着すると、車掌は扉のロックを解除します。
この時点で扉を開けることができるようになり、その後は主に日東紅茶や森永エンゼルの係員が扉の開閉を行っていました。
各扉でこれを行っていたわけですから、まさにおもてなしだったといえますね。
LSE等の自動式扉の車両も、半自動扱いにして同様のことをしていました。
1999年にゆめ70以外のNSEが引退すると、そのタイミングから全ての扉を自動で開閉するという扱いに変更され、今のような一般的なスタイルになっています。
ロマンスカーを彩っていた当時の乗降スタイルは、既に遠い過去の記憶となりつつあるのかもしれませんね。
どちらもロマンスカーの基礎を築き上げた車両で、小田急のブランド価値向上に寄与しました。
その後、LSEやHiSEの登場へと繋がっていったこれらの2形式ですが、客用扉は手動式の内開き戸となっていました。
LSEからは自動式とされましたが、SEやNSEは最後まで手動式のままで、電動ロック装置の設置以外は大きな改造も行われていません。
扉が手動というのは、今の小田急からは想像もできない状況ですが、どのように客扱いをしていたのでしょうか。
まず、昔のロマンスカーは乗車口が限定されており、全ての扉から乗り降りができたわけではありません。
これは乗車前に特急券の確認が行われていたためで、乗車口に並んだ乗客が、特急券を見せながら乗り込んでいく光景が日常でした。
そして、気になるのは手動式の扉はどうやって開けていたのかです。
電車が駅に着いても、当然扉は自動で開きません。
駅に到着すると、車掌は扉のロックを解除します。
この時点で扉を開けることができるようになり、その後は主に日東紅茶や森永エンゼルの係員が扉の開閉を行っていました。
各扉でこれを行っていたわけですから、まさにおもてなしだったといえますね。
LSE等の自動式扉の車両も、半自動扱いにして同様のことをしていました。
1999年にゆめ70以外のNSEが引退すると、そのタイミングから全ての扉を自動で開閉するという扱いに変更され、今のような一般的なスタイルになっています。
ロマンスカーを彩っていた当時の乗降スタイルは、既に遠い過去の記憶となりつつあるのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (7)
座席がダブってたりすると特改からインターホンで呼び出されてホームに走り上がりました
中に入って調整してる間に合図出されて降りられず…といったこともあったとか…
展望席の3列目(NSEだと席番がAとB)と9号車はSRに入れて無かったのでホームでも売れた訳です
特改係員と日東森永のお嬢さんとのカップルはたくさん成立しました
ワタシダ
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乗車時に開けるドアは3~4ヶ所程度だったかな…
終点駅では、ドアを開けたあとホームに出て
降車客にお辞儀をしていたっけ……
特急 が まさに 特別急行 だった時代……
ワタシダ
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時々ドアがかたくて開かなくて、後ろで降りるお客様が待っているのに焦ったときもありました。
懐かしいです。
ワタシダ
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乗車口で特急券を確認し、鋏をパチン。
(後に汚くなる原因となり、確認するのみに)
カウンターカチャカチャやりながら、乗車人数をカウントし、乗車人数と総座席分を計算し、空席待ち列に並んでいる人に補充券で座席未指定券を発行。
途中駅でのドア扱いの為に、遅い時間まで客室乗務員が乗車していたのを思い出します。
このドアの手動扱いがあった為に、深夜のNSEによる「あしがら号」は町田止まりだったのでしょう。
NSEの引退で、小田急は他社よりも早い段階でSHARPザウルス端末による座席チェックが始まり、その2年後には、これまた他社に先駆けて「ロマンスカー@クラブ」なるチケットレスサービスを始めたのが余りにも画期的過ぎました。
ワタシダ
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ワタシダ
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後年、スチュワーデスやコンパニオンが乗務しない列車が出来て、それにNSEが当たると乗客自らドアを開けて降車する訳ですが、お行儀悪い客がドアを閉めないと駅員や車掌が走って閉めに行きますのでそれは大変。夜の町田はそんな感じでバタバタしてた。
なので手動ドアは開けるより閉めるのが何倍も大変だった印象。臨時列車は特に大騒ぎでしたな。
ワタシダ
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ただ、これが後年多くの乗車に対する手間取りで遅延に繋がってしまいました。
ワタシダ
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