1995年に8両が2編成登場し、その後の小田急の主力車両になると思われた2000形。
しかし、次の増備は3年後の1998年で、さらに2000年に6編成がまとめて増備され、72両で製造が打ち切られてしまいました。

2000形は前面のデザインが1000形と共通とされたため、新形式が登場するという強いメッセージ性はありませんでした。
ところが、鉄道ファンの目線で見れば、前面デザイン以外の部分は全くの別形式で、1000形が登場した時以上の衝撃を私は受けたのです。
それまでの小田急で当たり前だったことが色々と変わり、3000形に繋がっていく変化の形式だったといえます。

2000形の設計には「やさしさ」というテーマがあり、環境、乗客、乗務員や駅員、保守作業員にとってバランスの良い車両に仕上げられています。
このテーマは当時盛んに広報されていたので、印象に残っている方も多いのではないでしょうか。

前面のデザインや基本の設計は1000形と共通ですが、表示装置の全面LED化、1.6mの扉幅、ボルスタレス台車の採用等により、それまでの小田急の車両とは大きく異なる強烈なインパクトを放ちました。
車内を見ても、1081Fに続いて路線図方式の案内表示を採用、側扉の窓が複層ガラスになる等、細かな改良点が数多くあります。

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機器の面でも大きな変更があり、通勤型車両としては初となる電気指令式ブレーキの採用や、IGBT素子のVVVFインバーターやSIVが搭載される等、1000形とは全く別の形式となっています。
全体的なイメージは1000形とあまり変わらないものの、それ以外の部分ではここまで変わるかというほど変わっており、新車に関する情報を目にする度にわくわくしたのを覚えています。

デビュー後の2000形は、8両固定編成という特性上各停や準急を中心に使われました。
乗車すると、それまでとは全然異なる音を奏で、それまでの車両との違いを感じたものです。

登場した時期が悪かった2000形は、複々線化事業の遅れや2600形の8両固定編成化の中止によって増備が進まず、想定されていた10両化や東京メトロ千代田線への乗り入れも行われませんでした。
時代に翻弄された、悲運な形式だといえるかもしれませんね。