1978年から始まった6両固定編成の増備は、製造年度ごとに改良が加えられ、編成ごとの差異が生じていきました。
4次車である5258Fが登場した段階で、5000形は108両の大所帯となり、小田急の主力車両となっています。

1980年には5次車として4編成が登場、小田急で最も両数が多い2600形と並びました。
5次車は窓の支持が押え金式に変更され、それまでの編成と大きく異なる外見に変化し、すっきりとしたデザインとなりました。
電動空気圧縮機についても変更が行われ、C-2000MからC-2000Lとなったことで動作音が軽減し、それまでの小田急で聞き慣れた音とは異なるものとなっています。

6次車は1981年に登場し、5次車とほぼ同仕様の3編成が製造されます。
続いて登場した7次車は5266Fの1編成のみですが、デハ5400に設けられている仕切り扉の窓が押え金式に変更されています。

そして、1982年は5000形の最終増備年となり、5267F以降の4編成が登場し、全180両が出揃いました。
5269Fは日本車輌製造と川崎重工業で製造された車両が混在しており、製造メーカーに対する配慮が感じられます。

20200926_07

1969年に登場した5000形の製造は1982年をもって終了しますが、13年にも渡る長期の製造によって、多くのバリエーションが生まれることとなりました。
5000形の製造終了から半年後には8000形の増備に移行し、5270Fが小田急顔の車両として最後に製造された編成となっています。

急行用として製造された5000形は、急行の10両運転の主役として活躍をしていきます。
1982年には箱根登山線に6両の大型車が直通できるようになり、5000形はそれの主力ともなっていきました。

次回は全編成が出揃った5000形が、昭和から平成にかけてどのような活躍をしたかについて書きたいと思います。