現在は小田急1000形の4両が行ったり来たりするようになった、箱根登山線の小田原から箱根湯本までの区間。
以前は新宿から走る急行が6両で直通運転を行っており、箱根湯本行きといえば前に繋がる6両でした。
6両の急行が乗り入れるのが定番だった箱根登山線ですが、さらに昔は中型車の4両までしか入線ができませんでした。
大型車の6両が入線するようになったのは1982年のダイヤ改正で、それまでは2400形が中心となっており、稀に2200系列の4両が使われていました。
そこで気になるのが、中型車の4両までしか入線ができなかった理由です。
明確な理由が書かれた文献が見つからなかったため、事実から整理して理由を導き出してみたいと思います。
まずは車両の長さです。
大型車は1両が20mとなるため、それが入線できない理由となりそうですが、2400形の中間車は19.3mであり、これが直接的な原因ではなさそうです。
影響はあったのかもしれませんが、これだけであれば少しの改良で解決できたでしょう。
続いては小田急の大型車ならではの部分で、2,900mmとなっている車体の幅です。
しかし、ロマンスカーのNSEやLSEも車体の幅は2,900mmですから、これも直接的な原因ではないと思われます。
そこで考えられるのが、各駅のホームの長さと有効長です。
ロマンスカーが停車する小田原と箱根湯本は問題ないとして、それ以外の3駅はどうだったのでしょうか。
どうやらこれが正解のようで、ホームの長さが短かったようなのです。
風祭はその後も全ての扉を開けることができませんでしたが、それ以外の駅もホームの長さが大型車の6両分はありませんでした。
色々と調査をしてみたものの、明確なことは分からなかったのですが、1980年の段階では箱根板橋や入生田のホームもかなり短かったようで、2400形の4両でも全ての扉を開けることができなかったようです。
中間にある3駅は、全て非常用のドアコックを使って扉を開けていたと考えられますが、まだ調べきれていません。
有効長については、ロマンスカーが交換をするために、箱根板橋と入生田は元々問題がありませんでしたが、風祭のみが短かったようです。
これらの問題点は、1981年に箱根板橋と入生田のホームを延長、1982年に風祭の構内が改良されたことで、大型車の6両が入線できるようになりました。
こうして大型車の6両が入れるようになった箱根湯本までの区間でしたが、結局後に4両へと変更され、現在までその状態が続いています。
長くなったり短くなったりしているということですね。
以前は新宿から走る急行が6両で直通運転を行っており、箱根湯本行きといえば前に繋がる6両でした。
6両の急行が乗り入れるのが定番だった箱根登山線ですが、さらに昔は中型車の4両までしか入線ができませんでした。
大型車の6両が入線するようになったのは1982年のダイヤ改正で、それまでは2400形が中心となっており、稀に2200系列の4両が使われていました。
そこで気になるのが、中型車の4両までしか入線ができなかった理由です。
明確な理由が書かれた文献が見つからなかったため、事実から整理して理由を導き出してみたいと思います。
まずは車両の長さです。
大型車は1両が20mとなるため、それが入線できない理由となりそうですが、2400形の中間車は19.3mであり、これが直接的な原因ではなさそうです。
影響はあったのかもしれませんが、これだけであれば少しの改良で解決できたでしょう。
続いては小田急の大型車ならではの部分で、2,900mmとなっている車体の幅です。
しかし、ロマンスカーのNSEやLSEも車体の幅は2,900mmですから、これも直接的な原因ではないと思われます。
そこで考えられるのが、各駅のホームの長さと有効長です。
ロマンスカーが停車する小田原と箱根湯本は問題ないとして、それ以外の3駅はどうだったのでしょうか。
どうやらこれが正解のようで、ホームの長さが短かったようなのです。
風祭はその後も全ての扉を開けることができませんでしたが、それ以外の駅もホームの長さが大型車の6両分はありませんでした。
色々と調査をしてみたものの、明確なことは分からなかったのですが、1980年の段階では箱根板橋や入生田のホームもかなり短かったようで、2400形の4両でも全ての扉を開けることができなかったようです。
中間にある3駅は、全て非常用のドアコックを使って扉を開けていたと考えられますが、まだ調べきれていません。
有効長については、ロマンスカーが交換をするために、箱根板橋と入生田は元々問題がありませんでしたが、風祭のみが短かったようです。
これらの問題点は、1981年に箱根板橋と入生田のホームを延長、1982年に風祭の構内が改良されたことで、大型車の6両が入線できるようになりました。
こうして大型車の6両が入れるようになった箱根湯本までの区間でしたが、結局後に4両へと変更され、現在までその状態が続いています。
長くなったり短くなったりしているということですね。
コメント
コメント一覧 (3)
入線出来る車両のサイズは、長さだけでも幅だけでも無く、両者の相互関係によって発生するカーブ部分のオーバーハングの問題により決定します。
17m車だった2300形(SE車が登場する前の一般形のロマンスカー)は長さ17500mm×幅2900mmでした。このサイズが中型時代の標準です。2400形は中間車の長さが19.300mmと延びましたが幅2755mmと狭くすることで2300形と同様のオーバーハングに納めています。NSEやLSEは中間車が長さ12.400mm×幅2900mmですが、御存知の通り連接車で実は台車間距離が2300形と同じになっていました。
20m車の通勤車は長さ20000mm×幅2900mmですので、17車のオーバーハングのサイズに納まらないため、そのまま入線するとあちらこちらで周辺にある物にぶつかってしまい、場合には対向車と接触する可能性が有ったため、周辺の物を土地の収用も含めて改良工事が必要だったんです。
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ちなみに箱根登山線と同じく登山鉄道枠に含まれる南海高野線は紀伊清水以南の各駅は元からホームが短く、しかも急カーブや急勾配が多いことなどから現在に至るまでにズームカーと呼ばれる17㍍級の短い車両しか入線できへんという特徴があります。そのため、利用客増加に対応する目的からいわゆる大運転と呼ばれる全線を通しで運転する列車は特急「こうや」号以外は年々減少しつつあるようです。
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