小田急5000形の車体修理は、4両の5063Fを残したまま6両の施工に移行します。
4両の車体修理が完了していない1996年に5255Fから開始され、小田急らしく全編成が更新されず、5063Fだけが未更新で残ってしまうのではないかと思われました。

6両の車体修理は4両と若干内容が変わり、外見上では側扉の窓の支持が押え金式に変更され、車内側の段差がなくなりました。
車内は様々な改良が行われ、バケットシートへの変更や車椅子スペースの設置、配色は暖色系の明るいイメージに変更されました。

6両の車体修理は、年度ごとに少しずつ内容が追加され、1997年度からはMGのSIVへの交換、1998年度の途中からは電動空気圧縮機のスクロール式への交換、1999年度からはドアチャイムや転落防止用外幌の設置、2000年度からは前照灯のシールドビーム化、2001年度からは集電装置のシングルアーム式パンタグラフへの交換が行われるようになりました。
その後全車に波及した内容や、追加で施工された編成もあり、編成ごとのバリエーションを増やすこととなっています。

ちなみに、4両の5063Fには1998年に車体修理が施工され、側窓の改良や、6両と同様に側扉の窓の支持が押え金式に変更されるといった違いがあります。
側窓の改良はその後他の編成にも施工され、改良後は箱根登山線への乗り入れが可能となっています。

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2002年の5266Fをもって全編成の車体修理が完了し、6両を中心にしばらくは活躍が続くと思われていた5000形でしたが、2006年に6両の5259Fから廃車が開始されます。
6両の車体修理の完了から4年後に廃車が発生していることになり、計画変更が多い小田急らしさを感じさせてくれました。

その後も6両を先行して廃車する衝撃的な展開が続きますが、2007年からは4両の廃車も始まりました。
そして、2007年には面白い動きがあり、6両から中間車を2両抜いて3編成が4両化され、5255F、5256F、5258Fが改番をせずに4両となっています。

廃車はどんどん進められ、2011年には6両の運転が終了、最後は4両だけが残りました。
残った4両についても廃車が進められ、5063Fの1編成だけとなった後はブランドマークを剥がした姿で活躍、2012年3月16日をもって営業運転を終了しました。

製造期間が長かった5000形は、6両を中心に短命となった編成が多く、車体修理の施工から10年も経たずに廃車された編成もあります。
複々線化、3000形や4000形の大量増備に翻弄され、晩年はとにかく慌ただしい形式でした。