真ん中に貫通扉を備え、おでこにはライトが二つ、左右対称のどこか愛嬌のあるデザインだった一昔前の小田急の車両。
現役の車両はなくなりましたが、小田急といえばこのデザインを思い浮かべる方はまだ多いのではないでしょうか。
長い期間採用されたこの前面デザインの車両は、何年ぐらい製造され続けたのか、今回は小田急顔の車両の製造期間を調べてみました。
貫通扉の両脇に大きな手すりがあることも特徴です。
左上には種別表示窓、貫通扉には行先表示窓がある形式が多く、後から設置された車両もあります。
小田急といえばこのデザインというぐらい大量に製造されたため、小田急顔と呼ばれて親しまれていました。
在籍する通勤型車両の8割以上が小田急顔という時期もあり、そう呼ばれるようになるのも無理はありません。
前面に緩やかなカーブがあり、デザインの基本パターンが確立されたという意味では1600形ですし、尾灯の位置を考慮すれば1900形、もうちょっと洗練された段階とするのであれば2100形となるでしょう。
おでこのライトを重要な要素とするのであれば2400形ですが、後から2灯化されている車両も多いため、小田急顔の元祖は2400形であるとするのも強引な気がします。
結局のところ、やはり明確にするのは難しいため、それぞれの形式ごとに年数を見てみるというのが適切なのかもしれません。
形式としては5000形が最後となっているため、5270Fが製造された1982年を最後としましょう。
続いて、小田急顔といえるかもしれない車両が登場した年です。
まずは1600形ですが、デハ1600が小田急顔だったといえるので、1943年とするのが正しいのでしょう。
最後までライトは1灯のままでしたが、それ以外は最終的にかなりの部分が小田急顔となっています。
続いては1900形ですが、こちらは1949年となっています。
同じABF車である2100形は1954年です。
初めてライトを2灯とした2400形は、1959年に登場しています。
登場時は種別窓がなく、晩年とは少しだけ表情が違っていました。
それぞれの形式からの期間は、1600形が39年、1900形が33年、2100形が28年、2400形が23年となります。
晩年にライトが2灯化されてイメージが統一されていたという点を考慮すると、1900形の33年というのが妥当なのかもしれませんね。
小田急顔の車両が多かったことで、ロマンスカーや9000形の個性が際立った面もあったのかもしれません。
8000形以降の車両は独自のデザインを採用することが基本となり、2012年に5000形が引退したことで小田急顔の営業運転が終了しました。
1600形の登場から、69年後のことでした。
現役の車両はなくなりましたが、小田急といえばこのデザインを思い浮かべる方はまだ多いのではないでしょうか。
長い期間採用されたこの前面デザインの車両は、何年ぐらい製造され続けたのか、今回は小田急顔の車両の製造期間を調べてみました。
小田急顔と呼ばれる前面デザイン
細かく見れば多少の違いはありますが、左右対称のデザインで、真ん中に貫通扉を備え、おでこには2灯のライト、上部の左右に尾灯があるというのが基本となっています。貫通扉の両脇に大きな手すりがあることも特徴です。
左上には種別表示窓、貫通扉には行先表示窓がある形式が多く、後から設置された車両もあります。
小田急といえばこのデザインというぐらい大量に製造されたため、小田急顔と呼ばれて親しまれていました。
在籍する通勤型車両の8割以上が小田急顔という時期もあり、そう呼ばれるようになるのも無理はありません。
どの形式からが小田急顔なのか
明確な定義があるわけではないため、どの形式からを小田急顔と定義するのかは簡単ではありません。前面に緩やかなカーブがあり、デザインの基本パターンが確立されたという意味では1600形ですし、尾灯の位置を考慮すれば1900形、もうちょっと洗練された段階とするのであれば2100形となるでしょう。
おでこのライトを重要な要素とするのであれば2400形ですが、後から2灯化されている車両も多いため、小田急顔の元祖は2400形であるとするのも強引な気がします。
結局のところ、やはり明確にするのは難しいため、それぞれの形式ごとに年数を見てみるというのが適切なのかもしれません。
小田急顔の車両が製造された期間
小田急顔の元祖を定義するのは難しいですが、最後の小田急顔を決めるのは簡単です。形式としては5000形が最後となっているため、5270Fが製造された1982年を最後としましょう。
続いて、小田急顔といえるかもしれない車両が登場した年です。
まずは1600形ですが、デハ1600が小田急顔だったといえるので、1943年とするのが正しいのでしょう。
最後までライトは1灯のままでしたが、それ以外は最終的にかなりの部分が小田急顔となっています。
続いては1900形ですが、こちらは1949年となっています。
同じABF車である2100形は1954年です。
初めてライトを2灯とした2400形は、1959年に登場しています。
登場時は種別窓がなく、晩年とは少しだけ表情が違っていました。
それぞれの形式からの期間は、1600形が39年、1900形が33年、2100形が28年、2400形が23年となります。
晩年にライトが2灯化されてイメージが統一されていたという点を考慮すると、1900形の33年というのが妥当なのかもしれませんね。
おわりに
登場後に改造が行われた車両が多く、1600形以降の車両は最終的に似たような前面デザインへと整理されていきました。小田急顔の車両が多かったことで、ロマンスカーや9000形の個性が際立った面もあったのかもしれません。
8000形以降の車両は独自のデザインを採用することが基本となり、2012年に5000形が引退したことで小田急顔の営業運転が終了しました。
1600形の登場から、69年後のことでした。
コメント
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他社でも国鉄101系や103系、京成の青電や赤電、東武の旧性能更新車グループや8000系、西武701系から旧101系、東急8000系や8500系、相鉄7000系や5000系、名鉄7000系グループ、近鉄8000系グループ、京阪「スーパーカー」こと2000系から2400系、南海1521系や6000系(6200系を除く)・7000系グループ、阪急2000系グループから5000系グループ、阪神の赤胴車や青胴車など、昭和中期はどれも似たような前面デザインの車両が多く走り回っていたと聞いたことがあります。
これには1970年代の石油危機による不況の影響で、従来車と統一された前面デザインがコスト面で採用しやすかったと言われております。しかし小田急で8000形以降独自の前面デザインが採用されとるように昭和末期以降はデザインのマンネリ化防止のため、各社とも独自の前面デザインを採用するようになりつつあるようです。
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