近郊区間の輸送力を増強するため、20m級の大型車体を採用して登場した小田急2600形。
登場時は5両でしたが、後に中間車を1両追加して6両化され、全22編成が各停や準急を中心に活躍しました。

2600形は6両のイメージが強い形式ですが、晩年には一部の編成が8両に組み替えられています。
今回は、8両化されながら短命に終わってしまった、悲運の8両固定編成にスポットを当ててみたいと思います。

8両固定編成化が行われた背景

小田急小田原線では、1988年3月22日から一部の各停を8両化しました。
それまでの各停は6両以下だったため、8両化によって輸送力がかなり増強されたのです。

その後、ダイヤ改正の度に8両の列車は増えていきますが、4両を2編成繋いで8両としていたため、中間に先頭車が2両入ってしまうという問題がありました。
この問題を解消するため、中間に先頭車が入らない8両固定編成を導入、新造と組み替えによってこれを実現させることとなりました。

このような背景から、1993年に1000形の8両固定編成である1081Fが増備され、同時に2600形を組み替えた2654Fが登場しました。
2600形の組み替えには2編成が必要となるため、減少分を1000形で補ったといえるでしょう。

どのような組み替えが行われたのか

2600形は経済性を重視した3M3Tの車両ですが、3両で2ユニットという比較的特殊な方式を採用しています。
8両化を行う際、本来であれば4M4Tとして経済性を重視したいところですが、3両単位で電動車を組み込む必要があり、6両の2編成から電動車のユニットを2組用意し、その両端に制御車を繋いだ6M2Tの強力編成となりました。

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既存のユニットをほぼそのまま活用できるというメリットがある反面、この組み替えには一つ問題がありました。
8両化を行うと、制御車と付随車が2両ずつ余ってしまうというものです。

諦めて廃車にすることも可能でしたが、小田急は余った付随車の4両を電動車化し、それに他の4両を組み合わせ、8両固定編成をさらに増やすという組み替えを行います。
この組み替えには2000形と同じ主制御器と主電動機が使われ、古い車体から最新型と同じ走行音がするという、とんでもない編成が登場することとなりました。

想定されていた組み替えの計画

小田急ではよくあることですが、2600形の8両固定編成化は当初想定されていた計画と異なる結末となり、晩年は6両と8両が混在することとなりました。

まずは当初の計画です。
2600形は6両が22編成あったため、まずはこれを組み替えて6M2Tの8両を11編成とします。
この時点で制御車が22両、付随車が22両余ります。

余った付随車のうち、12両を電動車化すると、4M4Tの8両を3編成組むことができます。
付随車の電動車化を行うことによって、余剰となる車両は制御車が16両、付随車が4両となり、廃車となる車両の合計は20両となります。
実際には、事故で先行して制御車と付随車が1両ずつ廃車となっていました。

組み替えによって整理された後の編成は、以下のとおりになる予定だったようです。

【6M2T】
・2651F
・2652F
・2653F
・2654F
・2655F
・2656F
・2657F
・2658F
・2659F
・2660F
・2661F

【4M4T】
・2666F
・2667F
・2668F

しかし、実際にこの組み替えが行われることはなく、途中で計画が中止されるという結末を迎えてしまうのです。

実際に行われた組み替えと晩年の編成

1992年度に1編成、1993年度に3編成、1994年度に2編成の組み替えが行われますが、この6編成で8両化は終了となり、最後まで6両と8両が混在する状況となりました。

晩年の編成は以下のとおりです。

【3M3T】
・2652F
・2653F
・2661F
・2662F
・2663F
・2665F
・2667F
・2668F
・2669F
・2670F
・2671F
・2672F

【6M2T】
・2654F
・2655F
・2656F
・2657F
・2659F

【4M4T】
・2666F

最終的には、6両が12編成、8両が6編成となり、各停や準急を中心として活躍しました。
6両は箱根登山線への乗り入れが解禁されたため、最晩年は急行での活躍も目立つようになります。

組み替えが途中で終了した背景には、2600形の老朽化が進んでいたことや、複々線化の遅れが関係していたといわれています。
1965年に登場した2600形は、8両化が開始された1993年の時点で車齢が28年に達している車両があり、組み替えを続けても長くは活躍できないという判断になったのではないかと思われます。

おわりに

8両固定編成が活躍した期間は短く、2000年から廃車が開始されました。
最初に廃車となったのは、VVVFインバーター制御となっていた2666Fで、 主制御器と主電動機は2000形の2054Fに流用されています。
2600形の廃車は8両固定編成から優先して進められ、2001年には全ての編成が姿を消しました。

活躍した期間は8年で、あまりにも短いものでした。