代々木上原から登戸までの区間が複々線化され、日夜多くの車両が行き交っている小田急小田原線。
東京メトロの千代田線や、JR東日本の常磐緩行線とも相互直通運転を行っているため、走行する車両のバリエーションも豊富です。

当たり前となった小田急の複々線、その歴史は意外な区間から始まっています。
今回は小田急で最初に複々線となった区間を振り返ってみたいと思います。

千代田線との相互直通運転と代々木上原の大改良

1972年10月20日に千代田線が代々木公園まで開通し、小田急の代々木八幡から乗り換えができるようになりました。
乗り入れを行う駅となる代々木上原まであと1駅まで迫り、相互直通運転の開始が近付いてきました。

相互直通運転の開始に備え、代々木上原付近は駅の改良以外にも大規模な工事が行われます。
それは立体化と小田急の複々線化で、約115億円の総工費を見込んだ大規模な工事でした。

この改良によって代々木八幡から東北沢までの区間は大きく変わり、千代田線との相互直通運転開始に向けて進んでいきます。

小田急で最初となる複々線区間の開通

元々は各停しか停車しない小さな駅だった代々木上原は、千代田線との相互直通運転に備え、200m程度小田原方へ移設されました。
代々木八幡付近で小田急の上下線間から顔を出した千代田線は、小田急と並走して代々木上原に到達、2面4線となった高架駅で並ぶこととなりました。

そして、代々木上原から先には千代田線の引き上げ線が中央に2線、その外側に小田急が4線ある構造となり、6線が並ぶ区間となりました。
代々木上原から東北沢の区間は、外側が緩行線、内側が急行線となっており、小田急で最初の複々線区間となったのです。
距離が短いため、東北沢の副本線が延長されたような状態であったため、現在のような複々線区間という雰囲気ではなく、車両が留置されているような時間帯もありました。

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1976年5月に下り線、同年7月に上り線が高架化されたことで7ヶ所の踏切が廃止され、1977年10月18日には現在の代々木上原駅の使用が開始されています。
そして、1978年3月31日から千代田線との相互直通運転が開始され、小田急の線路上を6000系が走るようになりました。

おわりに

短い区間ながら、小田急で最初の複々線となった代々木上原から東北沢の区間。
その他の区間の複々線化はしばらく進まず、小田急で唯一の複々線として長い間親しまれましたが、下北沢付近を地下化する過程で再び複線に戻り、完成によって現在の状態となりました。

小田急の複々線が代々木上原から登戸まで完成したのは2018年で、1978年から40年後のことでした。