ウルトラマンの曲が流れる駅として、利用客にも親しまれている小田急の祖師ヶ谷大蔵。
近年は準急の停車駅にもなっており、立派な複々線を活かした輸送が行われています。

現在は外側が緩行線、内側が急行線となっている祖師ヶ谷大蔵ですが、複々線化工事の過程で一時的に通過線が設置されていた時期があります。
今回は短期間だけ存在した待避線にスポットを当ててみることにしましょう。

連続立体交差化と線路の切り替え

1994年12月、梅ヶ丘から成城学園前までの高架複々線化工事が開始されました。
それまでは限られた区間で行われている印象だった複々線化工事の範囲が広がり、小田急線の景色が目まぐるしく変わり始めたのです。

祖師ヶ谷大蔵の駅構造は工事の進捗に合わせて変化し、1999年3月21日に下り線が高架化されます。
現在の下りホームの使用を開始し、下りは高架、上りは地上という状態となりました。
翌年の2000年4月23日には上り線も高架化され、現在の下り急行線を使用しつつ、上り急行線の位置に仮設のホームを設置していました。

成城学園前の地下化と祖師ヶ谷大蔵への通過線の設置

上下線が高架化された祖師ヶ谷大蔵でしたが、その景色は目まぐるしく変化を続け、2001年12月16日には高架化が完成して上り緩行線の使用を開始、正規のホームへと発着するようになりました。

そして、2002年3月23日に小田急はダイヤ改正を実施、このタイミングに合わせて成城学園前の待避線が使用停止となります。
祖師ヶ谷大蔵にも変化があり、現在の下り急行線を上り通過線として使用を開始、各停が優等列車に追い抜かれるようになりました。

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成城学園前を出た電車は現在の下り急行線を進み、祖師ヶ谷大蔵の手前で上り緩行線が分岐、駅の先で今度は下り急行線が上り緩行線に合流するという構造になっていました。
また、その先の下り急行線は引き上げ線となっており、喜多見検車区への出入庫に使用されていました。

しばらく面白い駅の構造となっていた祖師ヶ谷大蔵ですが、2004年5月23日に成城学園前の上りが2線化されると同時に通過線は短い役目を終えました。
2004年9月26日には複々線が完成、現在の姿となっています。

おわりに

狭い用地を最大限活用し、複々線化工事を進めた小田急線。
短期間で目まぐるしく景色は変化し、次第に現在の姿となっていきました。

祖師ヶ谷大蔵に通過線があったのは15年以上も前のこととなり、この事実を知らない世代も増えてきているかもしれませんね。