1991年に営業運転を開始し、主にあさぎり号に使用された小田急のRSE。
活躍した期間が短いロマンスカーで、MSEにあさぎり号の後を託し、2012年に惜しまれつつ引退しました。

今回は、活躍期間が短く、悲運の形式となってしまったこのRSEが、なぜこんなにも早く引退することになってしまったのかをまとめたいと思います。

バブル期に登場した豪華なロマンスカー

御殿場線が電化された後、小田急からの乗り入れは編成を短縮したSEにて行われていました。
昭和の終わり頃になると、老朽化が進んだSEは置き換えが検討されますが、国鉄側の事情で仕方なくそのまま使用されていました。

1987年に国鉄が分割民営化されると事態は少しずつ動き出し、御殿場線の利用者数が増加するという追い風もあって、ようやくSEの置き換えが行われることとなりました。
さらに、新型車両の置き換えに合わせて運行区間は沼津まで拡大され、JR東海も371系を登場させることで、あさぎり号は相互直通運転へと発展することとなったのです。

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こうして登場したのがRSEで、371系と各部の仕様を極力統一した20m級の7両固定編成となりました。
RSEの設計が進められていたのはバブル期であり、HiSEに続いてハイデッカーを採用、それ以外にもダブルデッカー車の組み込みやグリーン席の設置、セミコンパートメントも設けられる等、時代を反映した豪華な車両となっています。

バブル崩壊と減少するあさぎり号の利用者

運行区間を拡大し、RSEと371系で始まった相互直通運転のあさぎり号は人気の列車となります。
しかし、営業運転を開始した直後から、少しずつ危機は近付いていました。

RSEの登場にも繋がった昭和から平成にかけての好景気は、RSEの登場後に後退へと転じます。
バブル崩壊による景気の低迷によって、国内の観光需要は落ち込み、あさぎり号の利用者数も減少していくのです。

時代に合わせて豪華な設備となっていたRSEには、この景気低迷が重くのしかかることとなりました。
ハイデッカーがバリアフリー化への障害となったことはHiSEと同様ですが、RSEはそれに加えて過剰に豪華な設備という問題も抱えることとなったのです。
EXEが登場する頃、ロマンスカーは日常利用が増加する状況となりつつありましたが、観光利用を中心として設計したRSEは圧倒的に普通席が少なく、徐々に厄介な存在となっていきました。

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2編成が在籍したRSEですが、あさぎり号として通常必要なのは1編成だったため、もう1編成は小田急線内のはこね号等でも運用され、晩年はホームウェイでの活躍も見られるようになります。
しかし、ダブルデッカーやグリーン席があるRSEは他の形式との違いがかなり多く、小田急としては扱いにくいロマンスカーとなっていました。

相互直通運転の中止とRSEの引退

東京メトロ千代田線に直通する初めてのロマンスカーとなるMSEが、2007年に登場します。
登場当初は何も公にはされていませんでしたが、MSEが後々御殿場線に乗り入れることを想定しているのは様々な状況から明らかで、徐々にRSEの引退が現実味を帯びてきました。

そして、RSEと371系は2012年に揃ってあさぎり号から引退、直通運転は昔と同じ小田急からの乗り入れのみとなってしまったのです。
営業運転を行った期間は約21年で、あまりにも早い引退でした。

引退後に小田急線内専用のロマンスカーとして、余生を過ごす選択肢はあったのかもしれません。
しかし、豪華すぎて結果的に無駄が多く、バリアフリー化の問題も抱えていたRSEの設備は、その選択肢を許してはくれませんでした。

おわりに

時代に翻弄された悲運のロマンスカーとなったRSE。
ダブルデッカーやグリーン席は、最初で最後の採用となってしまうのでしょう。

MSEで走るようになったあさぎり号、現在のふじさん号に寂しさを感じるのは、私だけでしょうか。