4両が9編成、6両が9編成、合計90両が製造された小田急9000形。
営団地下鉄千代田線(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れを行った初代の形式で、2006年に惜しまれつつ引退しました。

編成ごとの差異があまりない形式でしたが、9409Fだけが異端車となっており、他の6両の編成とは異なっていました。

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今回は、9409Fがなぜ異端車となってしまったのか、経緯や背景について書きたいと思います。

合計100両の増備が予定されていた9000形

地下鉄の千代田線に直通運転を行う車両として登場した9000形は、4両と6両を併結させることで、10両を組むことを前提としていました。
4両と6両を10編成ずつ、合計100両を製造することが当初の計画で、1972年から製造が開始されました。

当時の小田急は急行の8両化を進めている最中で、相互直通運転が開始されるまで小田急線内のみで使用する9000形は、5000形等と併結してこれに充当することとなりました。
9000形は4両を優先して製造することとなり、1972年中に9001Fから9010Fまでの10編成が一気に登場し、急行の長編成化に貢献します。

その後は1973年に6両を2編成、1974年に6両を6編成増備し、88両が出揃います。
残りは6両の2編成となりましたが、ここで一旦増備は中断となりました。

増備が中断されてしばらくすると、相互直通運転の詳細なダイヤが決定し、小田急側は5運用となったことから、9000形は100両も必要ないこととなってしまいました。
そこで、9000形の編成単位の増備は打ち切りとなり、先に10編成を増備してしまっていた4両に中間車を2両追加して6両化し、4両と6両を9編成ずつとすることになったのです。

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こうして登場したのが6両の9409Fで、9010Fに付随車を2両追加し、6両の最終編成としました。
6両化は1977年に行われ、9010Fは改番されて消滅しています。
9010Fとして活躍した期間は約5年しかありませんでした。

9409Fが他の編成と異なっていた部分

4両から改造された9409Fは、他の6両の編成と異なっている部分がありました。
9000形は4両と6両でスカートの形状に違いがありますが、9409Fのみは4両と同じ形状となっていたのです。

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4両の9003Fのスカートを見ると、このように二つの開口部があります。
これが4両のスカートの形状です。

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続いては6両の9404Fですが、こちらはスカートの開口部が一つしかありません。
これが6両の基本的な形状で、9409Fだけが異なっていました。

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改めて9409Fを見てみましょう。
このように4両と同じスカートの形状をしており、9409Fが元々は4両だったということを示していました。
引退の日までスカートの形状はそのままで、9409Fの識別点ともなっていました。

その他にも、更新前は屋根の仕上げ方が中間の2両だけ違っていたような記憶がありますが、少々記憶が曖昧です。

おわりに

9000形の廃車が開始されると、真っ先に廃車となったのがこの9409Fでした。
最も新しい中間車を含む編成が、最初に廃車となってしまったのです。