最後に残った1編成が旧塗装に戻され、引退前に大盛り上がりとなった小田急2600形。
小田急の自社発注車としては初めての大型車で、その後の車両の基礎となりました。

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4000形以降の形式とは共通点が多く、特に前面のデザインが共通の形式では慣れていないと見分けるのが困難でした。
しかし、細かい部分では異なる点が色々とあり、今回はその中から妻面窓の構造をピックアップしてみたいと思います。

車内を見渡すことができた2600形の広幅貫通路

2600形の車両間の貫通路は、1,080mmの広い幅となっていました。
広い幅の貫通路は当時の車両で多く採用されており、小田急でも多くの車両がこの仕様となっています。
妻面には細い二段上昇式の窓が設けられ、貫通路には扉が設置されていなかったことから、車両の端から端までを見渡すことができました。

このような構造は、4000形、5000形と採用が続けられましたが、冷房車が当たり前の時代となりつつあった9000形では、固定式の一枚窓に変更されました。

仕切扉の新設と妻面窓の改造

全編成が非冷房で登場した2600形でしたが、1972年度から1981年度にかけて冷房化改造が実施されました。
その際、デハ2800の新宿方貫通路に仕切扉が新設され、6両が3両ずつで隔てられた状態となりました。
車両間を仕切ることで、冷房の効果を高めるという意図があったものと思われます。

仕切扉の新設によって、当該部分の妻面窓は固定式へと変更され、Hゴムを用いた独特な形状となっています。
この構造は、大型車では2600形のみに見られたもので、他形式では他の部分の窓と外見的な差がないように配慮されています。

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その後、1987年度以降に車体修理を実施した編成については、妻面窓が一枚固定式に改造されています。
その際にも貫通路が設置されている部分の窓はそのままとされ、2600形の特徴として最後まで残っていました。

おわりに

2600形の引退から15年以上が経過し、このような細かい部分の特徴は忘れ去られつつあります。
模型化の際には見逃されがちなポイントですから、注意が必要ですね。