古い車両の主電動機等を流用し、1966年に登場した小田急4000形。
2600形と同様の車体ながら、足回りは吊り掛け駆動となっており、見た目とのギャップが激しい形式でした。

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機器流用車という特殊性からか、他の小田急の車両とは履いている台車が異なり、後年には振り替えも行われました。
今回は、4000形が履いた様々な台車をご紹介しつつ、引退までに行われた振り替えについてもまとめたいと思います。

小田急で唯一の採用例となったパイオニア台車

1954年に登場した2200形以降、小田急では通勤型車両にアルストムリンク式の台車を採用してきました。
4000形はこの流れから外れ、東急車輛製造のパイオニア台車を採用、台車の外側で輝くディスクブレーキが特徴となっています。

パイオニア台車を採用するにあたっては、1963年10月に東急から7000系を借り入れて小田急線内で試験を実施、1964年にはデハ1300形にPⅢ-704を履かせての試験も行われました。
試験後の1966年に4000形は製造を開始し、小田急では初となるパイオニア台車のPⅢ-706を採用、電動台車がPⅢ-706M、付随台車がPⅢ-706Tとなっています。
東急、京王、南海等でパイオニア台車が採用されていますが、小田急ではこの4000形が唯一の採用例となりました。

1970年までに4000形は3両が22編成製造され、合計66両がパイオニア台車を履いて登場しています。
この時点での台車を整理すると、以下のような状態となります。

デハ4000:PⅢ-706M
クハ4050:PⅢ-706T

5両化に伴う中間車の増備と台車の振り替え

1800形と4000形を連結して5両とし、これにもう1編成4000形を加えて、8両編成とする運転が1969年から始まりました。
しかし、1973年の4月19日と5月2日に相次いで脱線事故が発生し、1800形と4000形の連結は中止されることとなりました。

脱線事故の後、急場しのぎの対策として4000形の7編成から制御車を外し、これを他の編成と組ませて5両としました。
外された7両の制御車は休車となりましたが、これによって運用できる車両が足りなくなってしまい、一部の列車が編成の削減をせざるを得ない状況となってしまいます。
そこで、1974年から4000形の一部の編成を5両化することとなり、中間車だけが増備されることとなりました。

脱線事故の原因としてパイオニア台車が関係していたためか、増備車は台車の変更が行われています。
ここから4000形のややこしい台車の振り替えが始まります。

まず、制御車の22両が履いていたPⅢ-706Tを、新製のTS-814と交換しました。
外されたPⅢ-706TはPⅢ-706Mに改造され、中間増備車に振り替えられます。
しかし、増備される中間車が26両あったため4両分の台車が不足し、最終増備車のみが新製のTS-818を履くこととなります。

こうして、3両が9編成、5両が13編成、合計92両となった4000形の台車は、以下のような構成となりました。

デハ4000:PⅢ-706M
デハ4000(デハ4212・デハ4213・デハ4312・デハ4313):TS-818
クハ4050:TS-814

高性能化とパイオニア台車の淘汰

1800形の廃車後、小田急で最後の吊り掛け駆動車となった4000形でしたが、他形式と比較して性能が劣ることや、非冷房であることが問題となりつつありました。
そこで、1985年から2400形の主電動機を流用して高性能化と冷房化を行い、同時に編成も4両と6両に組み替えられることとなりました。

電動車が履いていたパイオニア台車は、この組み替えの過程で淘汰され、組み替え後の電動台車としてTS-826が新製されます。
組み替え後の電動車は56両だったため、この両数分の台車が新たに用意されたことになります。

制御車にはTS-814とTS-818が流用されますが、36両に対してこれらの台車は26両分しかありません。
32両がTS-814を履いていましたので、足りない10両分についてはTS-814が新製されています。

高性能化後の4000形の台車は、以下のような構成となりました。

デハ4000:TS-826
クハ4050:TS-814
クハ4050(クハ4259・クハ4260・クハ4559・クハ4560):TS-818

おわりに

中間車の増備や組み替えに合わせて、複雑な経緯を辿った4000形の台車。
台車の外側にディスクブレーキが輝く車両というイメージが強い形式ですが、実際にディスクブレーキを装備していた台車は、PⅢ-706M、TS-826のみでした。