複々線化の完成によって、列車種別が増加した小田急線。
現在は、各駅停車、準急、通勤準急、急行、通勤急行、快速急行、特急、合計7種類の列車種別が設定されています。

このように現在は多くの列車種別が設定されている小田急ですが、とても少なかった時期が過去にはありました。
今回はその少なかった時期を振り返りつつ、列車種別が増えることになったきっかけについてもまとめたいと思います。

小田急の列車種別が少なかった時期

1970年代から1990年代にかけて、小田急では列車種別が少ない時期が続きました。
それ以前の小田急には、現在のような多くの種別の列車が走っていましたが、順次廃止されて絞り込まれていったのです。

具体的には、準特急が1963年まで、通勤急行が1971年まで、快速準急が1972年まで設定されていました。
1964年まで通勤準急もありましたが、同年に快速準急が登場したことによって日中の準急がなくなったため、準急に改称されています。
その他、江ノ島線の海水浴客を輸送するため、夏季限定の臨時列車として快速急行がありましたが、こちらも1970年代には見られなくなりました。

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小田急の列車種別は、各駅停車、準急、急行、連絡急行、特急のみとなり、5種類まで整理されました。
ロマンスカーを除いた場合の最上位種別は急行で、シンプルで分かりやすい反面、速達性はある程度犠牲になっていたといえるでしょう。
1991年に連絡急行が特急に変更された後は4種類のみとなり、2002年に多摩急行と湘南急行が登場するまでその状態が続きました。

列車種別が増えることになったきっかけ

1960年前後から、小田急ではラッシュ時の混雑が激しくなっていきました。
新宿の発着線が5線になったことをきっかけに、1963年からは朝ラッシュ時が平行ダイヤとなり、複線での輸送力の限界となる、1時間に30本の列車が運転されるようになっています。
その後、1972年に29本へと削減されますが、これは編成両数の増加によるものです。

輸送力の増強は編成両数を増加させることで進められ、準急や急行は10両化、各駅停車は8両化されていきました。
一方で、列車種別は少ないままで、一部の列車に停車駅の違いはあるものの、シンプルな状態が長く続いていたのです。

この状況に変化を与えるきっかけとなったのが、JR東日本が2001年12月に運行を開始した湘南新宿ラインです。
直接的に競合する列車が登場したことで、小田急も対抗策を打ち出すこととなり、2002年3月23日のダイヤ改正で湘南急行を登場させました。
多摩線にも同時に多摩急行が登場し、競合する京王への対応がようやく始まりました。

こうして列車種別が一気に増えることとなった小田急ですが、どちらの種別も急行の停車駅を若干変えたものであり、運行区間を明確にする意味合いが強いものでした。
しかし、小田急がその後積極的に新種別を登場させるきっかけとなっており、2004年に梅ヶ丘から喜多見の区間が複々線化されたタイミングでは、速達性を高めた快速急行を登場させています。

その後の小田急は、状況に合わせて新種別を登場させるようになり、列車種別が少ないというのは過去のこととなりました。

おわりに

多くの列車種別が走るようになった現在の小田急線。
複々線化の完成によって、多種多様な列車を走らせられるようになり、再び列車種別が増えていったことが分かりますね。