扉を閉めてから徹底した安全確認を行い、点字ブロックより外側に人がいる場合には決して出発しない小田急。
ある事故をきっかけに厳しくなった安全確認ですが、それ以前は定時運行を確保するため、かなり素早く発車していました。

今回は安全確認が厳しくなったきっかけと、それ以前の小田急がどのように発車していたのかを振り返ってみたいと思います。

東海大学前駅で2007年に発生した事故

小田急が出発時の安全確認を徹底するようになったのは、2007年に東海大学前で発生した事故がきっかけでした。
発車間際に駆け込み乗車が発生し、それ自体はよくあることなのですが、この時は運悪く指が扉に挟まってしまいました。

通常であれば、乗客が自力で指を扉から引き抜くか、再度扉を開けて対処するものですが、車掌は指が挟まっていることに気付けず、電車は発車してしまったのです。
乗客はホームを走り、電車とホームのすき間に転落してしまいました。

車掌だけを責めるのは酷な事故ですし、全てが乗客の責任ともいえないでしょう。
とても不幸な事故でした。

その後、点字ブロックの外側に人がいる場合には、電車を発車させてはいけないというルールが定められ、現在のような徹底した安全確認が行われるようになっています。

素早く発車していた昔の小田急

ルールが変更される前の小田急は、扉を閉めてからかなり素早く発車していました。
条件によって異なる場合は当然ありますが、現在と比べれば相当早かったのは間違いありません。

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まず、車掌がタイミングを見計らってホイッスルを吹きます。
乗降が終わったタイミングで扉を閉めますが、閉めている最中に安全確認をしているような状況で、問題がなければ扉が閉まったと同時にブザーが鳴らされます。

ブザーが鳴らされると、すぐに運転士はブレーキを緩め、電車は発車していきます。
この時の車掌は乗務員扉を開けた状態で後方から安全確認をする、箱乗りの状態となっています。

走り出して少しすると、一度乗務員室内に入って乗務員扉を閉め、窓から再び顔を出して安全確認を続けます。
扉を閉めてから発車するまでを早くできる一方、乗務員扉を閉めるタイミングで、安全確認が途切れるという問題点がありました。

安全確認を徹底するため、このような光景は見られなくなり、時間をかけてしっかりと安全確認を行った後、電車が発車するようになりました。

おわりに

なかなか電車が発車しない小田急ですが、その背景には不幸な事故がありました。
昔の素早い発車を知っていると、かなり遅いと感じるのが本音ですが、昔と今は違うということなのでしょうね。