1982年に登場し、非冷房の中型車を大量に置き換える役目を担った小田急8000形。
増備の前半と後半で置き換える形式は変わり、最終的に全160両が出揃いました。
今回は、小田急の冷房化と大型化を一気に進めた8000形の増備過程を、前半と後半に分けてご紹介します。
この頃はまだ多くの2200系列が残っており、小田急で最後となる片開き扉の通勤型車両として、最後の活躍をしていました。
廃車が始まる前の2200系列は、ある程度決まった編成を2200系列のみで組んでいましたが、一部の編成の廃車が開始された後に編成替えが行われ、2200形の2枚窓車同士で4両を組み、多摩線を走るようになりました。
2200形が抜けた穴は2400形によって埋められ、2200系列と2400形を連結した6両編成が見られるようになっています。
6両編成から登場した8000形は、これらの中型車を置き換えていきました。
2200形の2枚窓車は早期に廃車となり、その後は2200系列で再度編成替えが行われ、再び2200系列のみで編成を組むようになりました。
その後も8000形の増備は続き、1984年には最後まで残っていた2200系列の廃車が進められ、4形式あった2200系列は全車両が運用を終了しました。
見る機会が多くなってきた8000形の増備は続きますが、ここからは8000形によって2400形を置き換えるというような単純な構図ではありません。
この時期の小田急は、車両の冷房化と大型化を一気に進めていましたが、中型車で非冷房という2400形以外に、大型車で非冷房の4000形が残っていました。
当時の4000形は吊り掛け駆動で、そのままでは冷房化が困難であったため、この問題を2400形の廃車によって発生する主電動機を流用することで解決することとなりました。
置き換えの大まかな流れは、2400形を廃車して主電動機を捻出し、同時に4000形を改造のために休車として車両メーカーに送り、抜けた穴を新造の8000形で埋めていきました。
改造を終えた4000形は車両メーカーから戻ってくるため、改造が済んだ4000形と8000形の2形式で2400形と改造前の4000形を置き換え、小田急は一気に冷房化と大型化を進めていったのです。
8000形の後半の増備では、このようにして車両の置き換えを進め、1987年までに全160両が出揃いました。
増備が終了した時点では、まだ若干の2400形と改造前の4000形が残っており、これらは新形式である1000形が置き換えの役目を担うこととなりました。
8000形の増備によって車両の近代化は一気に進み、小田急は大型の冷房車に統一されていったのです。
増備の前半と後半で置き換える形式は変わり、最終的に全160両が出揃いました。
今回は、小田急の冷房化と大型化を一気に進めた8000形の増備過程を、前半と後半に分けてご紹介します。
2200系列の置き換えを進めた前半の増備
8000形の増備は、1982年の終わりから始まりました。この頃はまだ多くの2200系列が残っており、小田急で最後となる片開き扉の通勤型車両として、最後の活躍をしていました。
廃車が始まる前の2200系列は、ある程度決まった編成を2200系列のみで組んでいましたが、一部の編成の廃車が開始された後に編成替えが行われ、2200形の2枚窓車同士で4両を組み、多摩線を走るようになりました。
2200形が抜けた穴は2400形によって埋められ、2200系列と2400形を連結した6両編成が見られるようになっています。
6両編成から登場した8000形は、これらの中型車を置き換えていきました。
2200形の2枚窓車は早期に廃車となり、その後は2200系列で再度編成替えが行われ、再び2200系列のみで編成を組むようになりました。
その後も8000形の増備は続き、1984年には最後まで残っていた2200系列の廃車が進められ、4形式あった2200系列は全車両が運用を終了しました。
3形式が絡んで進められた車両の冷房化と大型化
2200系列が形式消滅した後は、小田急で最後の中型車となった2400形の廃車が始まりました。見る機会が多くなってきた8000形の増備は続きますが、ここからは8000形によって2400形を置き換えるというような単純な構図ではありません。
この時期の小田急は、車両の冷房化と大型化を一気に進めていましたが、中型車で非冷房という2400形以外に、大型車で非冷房の4000形が残っていました。
当時の4000形は吊り掛け駆動で、そのままでは冷房化が困難であったため、この問題を2400形の廃車によって発生する主電動機を流用することで解決することとなりました。
置き換えの大まかな流れは、2400形を廃車して主電動機を捻出し、同時に4000形を改造のために休車として車両メーカーに送り、抜けた穴を新造の8000形で埋めていきました。
改造を終えた4000形は車両メーカーから戻ってくるため、改造が済んだ4000形と8000形の2形式で2400形と改造前の4000形を置き換え、小田急は一気に冷房化と大型化を進めていったのです。
8000形の後半の増備では、このようにして車両の置き換えを進め、1987年までに全160両が出揃いました。
増備が終了した時点では、まだ若干の2400形と改造前の4000形が残っており、これらは新形式である1000形が置き換えの役目を担うこととなりました。
おわりに
小田急から中型車を一掃する役目を担った8000形。8000形の増備によって車両の近代化は一気に進み、小田急は大型の冷房車に統一されていったのです。
コメント
コメント一覧 (1)
この頃の江ノ島線は2400や5000の4両、4000の5両が主体で2600や5200が入ってくることは珍しかったです。
ワタシダ
がしました