1995年から製造が開始され、2001年までに全9編成が出揃った小田急2000形。
現在の小田急では最も在籍する両数が少ない通勤型車両となっており、各駅停車を中心に活躍しています。

現在も見かける機会が少ない2000形ですが、製造両数が少なくなった背景には、2600形の8両化が絡んでいました。
今回は、少数世帯となってしまった2000形の悲しい歴史を振り返ります。

2600形の8両化と2000形の製造

2000形が登場する1995年の小田急は、8両や10両の固定編成が少なく、多くが4両と6両を組み合わせた組成となっていました。
長編成化は進みつつありましたが、編成の中間に先頭車が入ってしまうことは効率が悪く、分割併合がない運用に充当する編成については固定編成化を進めることとなりました。

そして、1992年に1000形で10両固定編成が初めて製造され、追って1993年には8両固定編成も登場しました。
同時に2600形の6両から8両への組み替えも行われ、徐々に固定編成が増えていきました。
1995年になると、最初から8両や10両の固定編成を前提とした2000形が登場し、固定編成化は一気に進められると思われました。

2600形を6両から8両に組み替えるにあたっては、一つ大きな問題がありました。
6両の2編成から8両の1編成に組み替えるため、編成数としては減ってしまうのです。
そこで、大量に余る制御車と付随車を活用して少しでも編成数を増やす計画だったものの、組み替えと同時に車両を新造することが必須となっていました。

2600形の組み替えの後半戦では、2000形を同時に製造して必要な編成数を満たす計画だったと考えられます。
6両の2600形を2編成組み合わせて8両化、同時に2000形を1編成製造すれば、6両の各停を2運用分8両化できます。
また、2000形は10両での運転も考慮されていましたから、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用の編成を製造し、4両と6両を繋いだ1000形を小田急線内の運用に転用することを考えていたと思われます。

2600形の組み替え中止と置き換え

1995年に最初の2編成が登場した2000形でしたが、その後はしばらく増備がありませんでした。
その理由は定かではありませんが、2600形の8両への組み替えが同時に中止されており、増備をする必要がなくなった可能性が高いと考えられます。

複々線化の進展によって車両が不足することが見込まれていましたが、騒音訴訟の影響もあって工事は遅れ、そのことも計画の変更に作用したのでしょう。
2000形は1998年に1編成が増備されたものの、相変わらずの少数世帯となっており、東急2000系と同じような境遇となっていました。
動きがあったのは2000年のことで、2600形の8両固定編成を2000形の増備によって置き換えることとなり、一気に6編成が追加で増備されました。

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この大量増備で最初に登場した2054Fには、2600形の2666Fから取り外した主電動機と制御装置が流用されています。
その他の編成は純粋な新造車となっており、2000形は全9編成となりました。

2600形の組み替えと並行して増備される想定だったと思われる2000形は、結果的に2600形を置き換える役目を担うこととなり、あまりにも皮肉な結末となってしまいました。
そして、想定されていた10両は結局登場せず、全編成が8両固定編成のままとなっています。

おわりに

最終的には9編成となったものの、少数世帯となることを避けるためにあえて2000形を製造した面もあり、その後の増備はすぐに3000形へと移行しました。
現在も各駅停車を中心として活躍しており、地味なポジションで輸送を支える車両となっています。