小田急小田原線の相模大野から少し先に、相武台前と座間という駅があります。
急行や快速急行は停車しないため、あまり目立つ駅ではありませんが、この2駅にはややこしすぎる深い関係があるのです。

今回は相武台前と座間の歴史を振り返りつつ、その関係をご紹介します。

相武台前駅と座間駅の概要

相武台前と座間は、小田急小田原線の相模大野から海老名の間にある駅です。
急行や快速急行は通過し、準急や通勤準急は停車しますが、日中は準急の運転がないため各駅停車のみが停車します。

相武台前は2面4線の比較的大きな駅で、留置線を備えています。
これは1962年まで存在した相武台工場の名残で、電気機関車や貨車の基地となっていました。
昔はラッシュ時に限って急行の一部が停車していましたが、1999年以降は全列車が通過するようになっています。

座間は相武台前の隣に位置しており、2面2線の駅です。
優等列車が停車しない小田急の駅としては一般的な構造となっており、相対式のホームを備えています。

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両駅は神奈川県の座間市にあり、小田急ではこの2駅のみとなっています。
座間の近くにはJR東日本の入谷駅がありますが、座間市内の駅はこの3駅のみとなっており、あまり多くはありません。

相武台前駅と座間駅のややこしい関係

座間市内にあるという共通点以外が見つけられないこの2駅ですが、過去の経緯は少々複雑です。
時系列で整理して、2駅の関係を見ていきましょう。

1927年4月1日の小田急小田原線の開業と同時に、座間が開業しました。
少し遅れた1927年7月28日に、今度は新座間が開業しています。
この時点で意味が分からなくなってきますが、最初に開業した座間は現在の相武台前で、新座間として開業したのが現在の座間です。
つまり、開業当初の座間は現在の相武台前だったのです。

1937年には駅名が改称され、6月1日に座間が士官学校前に、7月1日に新座間が座間遊園となり、一時的に座間は消滅しました。
士官学校前は、その名のとおり大日本帝国陸軍の士官学校があったことが駅名の由来ですが、座間遊園という駅名は何を示していたのでしょうか。
これは遊園地を建設する計画があったためで、先に駅名を改称したものの、結局遊園地は建設されず、日本は戦争へと進んでいきました。

改称された駅名は長続きせず、1941年には早くも次の改称が行われ、1月1日に士官学校前が現在の駅名である相武台前となりました。
これは昭和天皇によって、士官学校が相武台と命名されていたことに由来します。
改称は防諜上の理由によるもので、攻撃の標的とされないための措置でした。
10月15日には座間遊園も改称され、現在の駅名である座間となりました。

駅名の変遷をまとめると、以下のとおりとなります。

【相武台前】
座間 ⇒ 士官学校前 ⇒ 相武台前

【座間】
新座間 ⇒ 座間遊園 ⇒ 座間

座間が消滅する時期を挟んで、駅名が引き継がれるというややこしいことが発生していたのです。
改称の間隔が短いことからも、当時の混乱がうかがえますね。

おわりに

現在も座間市内にある相武台前駅と座間駅。
意外な繋がりがある2駅ですが、今となっては歴史の奥深くにある出来事となってしまいました。