小田急の起点である新宿の次にある駅、それが南新宿です。
駅名に「新宿」が含まれていますが、駅自体は渋谷区に位置しています。

大都会の中にある駅ですが、2019年度の1日の平均乗降人員ではワースト2位となっています。
今回はこの大都会の中にある南新宿駅の、開業から現在までの歴史を振り返ります。

現在よりも新宿寄りにあった南新宿駅

南新宿は、小田急小田原線の開業時からある駅で、開業当時は千駄ヶ谷新田という駅名でした。
駅の位置は現在と異なっており、新宿1号踏切から新宿2号踏切の間にありました。

開業時の駅名だった期間は意外と短く、1937年7月1日には小田急本社前に改称されました。
これは開業の年である1927年にビルが完成し、そこに小田急の本社が入っていたためです。

しかし、この駅名だった期間はさらに短く、1942年5月1日には現在の駅名である南新宿となっています。
戦時統制下に小田急は大東急となったことから、それに伴う改称でした。
大東急が崩壊した後も駅名はそのままとされ、南新宿の駅名が現在まで続いています。

南新宿という駅名ですが、駅自体は東京都渋谷区代々木にあり、JR東日本や都営地下鉄の代々木駅が近くにあります。
歩いて新宿駅に行けるぐらいの距離であるからか、乗降客は大都会にありながら少なく、終日のんびりとした雰囲気が漂っています。

延伸ができなかったホームと現在地への移転

ホームの両端を踏切に挟まれていた南新宿は、中型車の6両分までしかホームの長さがありませんでした。
2600形が大型車で初めての6両編成となった後もホームが伸ばせず、新宿寄りの1両はドアカットをして対応していました。

このような問題を抱えていた南新宿でしたが、1972年から始まった新宿の2回目の改良工事に関連して、1973年12月21日に現在の位置に移転し、ドアカットは過去のものとなりました。

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ドアカットをしているという事情はありましたが、なぜ南新宿は移転したのでしょうか。
その理由は、駅があった位置がその後どうなっているかを見れば分かります。

踏切と踏切の間、そこには新宿の地上ホームと地下ホームに繋がる分岐器があります。
新宿の改良工事ではホームを伸ばす必要があり、分岐器の位置を小田原方に動かす必要がありましたが、南新宿の位置が支障していたということなのです。

こうして南新宿は150m程度小田原方に移転し、ドアカットもなくなりました。
現在は10両が停車できるホームの長さとなっており、ドアカットをしていたことが信じられないような駅となっています。

おわりに

現在も新宿と近い位置にある南新宿。
しかし、昔はもっと新宿に近い位置にあり、さらにドアカットをしていた時代があったとは、現在の姿を見ると信じられないですね。