小田急小田原線の厚木と本厚木の間には、相模川橋梁が架かっています。
名前のとおり、相模川を渡るための橋梁ですが、1971年までに架け替えられており、現在のものは2代目です。
1927年に開業してから、50年以内に架け替えが行われたことになりますが、それはなぜなのでしょうか。
架け替えの理由には、相模川特有の事情が関係しています。
現在の橋は中間部がワーレントラスとなっており、とても存在感があることから、厚木駅の先端は撮影地としても有名です。
橋梁自体は、高架駅である厚木と本厚木にそのまま繋がっています。
現在は海老名から本厚木にかけて高架区間が連続しており、郊外としては比較的長く立体交差化が行われています。
開業時からの橋梁がそのまま使われている区間も多い小田急ですが、相模川橋梁はかなり早期に架け替えられており、既に新しさを感じる橋ではなくなっています。
架け替えから既に50年が経とうとしており、既に先代を超えていることから、当然なのかもしれません。
コンクリート等の骨材として使われる砂利は、東京での建設ラッシュによって高まった需要により、河川からの採取が盛んに行われていました。
小田急も直営での砂利採取を行っており、貨物列車も運転されていました。
しかし、自然のものを利用することは、良いことばかりではありません。
砂利の採取が長年続いたことで、相模川では河床低下が問題となっていきます。
河床低下とは、川底の高さが低下してしまうことで、それによって様々な問題を引き起こします。
相模川での砂利採取は、河床低下の問題によって1964年に禁止となりますが、小田急の相模川橋梁は河床低下によって橋脚が傾斜してしまったため、架け替える必要が生じてしまったのです。
元々の相模川橋梁は現在よりも海側にあり、山側に新橋梁を建設して切り替えた後、旧橋梁を撤去しています。
架け替えに合わせて厚木駅は移設、その後本厚木駅も高架化されるという大きなプロジェクトでした。
撤去されたため旧橋梁は現存しませんが、一部の橋脚が今も残っています。
多摩川橋梁が架け替えられたのは2000年代ですから、それと比較すると随分早い架け替えとなってしまいました。
現在の橋は建設から50年を超えようとしていますが、末永く使えることを願っています。
名前のとおり、相模川を渡るための橋梁ですが、1971年までに架け替えられており、現在のものは2代目です。
1927年に開業してから、50年以内に架け替えが行われたことになりますが、それはなぜなのでしょうか。
架け替えの理由には、相模川特有の事情が関係しています。
ワーレントラスが目立つ現在の相模川橋梁
厚木と本厚木の間に架かる相模川橋梁は、1971年に使用を開始した2代目となっています。現在の橋は中間部がワーレントラスとなっており、とても存在感があることから、厚木駅の先端は撮影地としても有名です。
橋梁自体は、高架駅である厚木と本厚木にそのまま繋がっています。
現在は海老名から本厚木にかけて高架区間が連続しており、郊外としては比較的長く立体交差化が行われています。
開業時からの橋梁がそのまま使われている区間も多い小田急ですが、相模川橋梁はかなり早期に架け替えられており、既に新しさを感じる橋ではなくなっています。
架け替えから既に50年が経とうとしており、既に先代を超えていることから、当然なのかもしれません。
相模川橋梁が早期に架け替えられた理由
先代の橋が早期に架け替えられた理由には、かつてこの地で行われていた砂利採取が関係しています。コンクリート等の骨材として使われる砂利は、東京での建設ラッシュによって高まった需要により、河川からの採取が盛んに行われていました。
小田急も直営での砂利採取を行っており、貨物列車も運転されていました。
しかし、自然のものを利用することは、良いことばかりではありません。
砂利の採取が長年続いたことで、相模川では河床低下が問題となっていきます。
河床低下とは、川底の高さが低下してしまうことで、それによって様々な問題を引き起こします。
相模川での砂利採取は、河床低下の問題によって1964年に禁止となりますが、小田急の相模川橋梁は河床低下によって橋脚が傾斜してしまったため、架け替える必要が生じてしまったのです。
元々の相模川橋梁は現在よりも海側にあり、山側に新橋梁を建設して切り替えた後、旧橋梁を撤去しています。
架け替えに合わせて厚木駅は移設、その後本厚木駅も高架化されるという大きなプロジェクトでした。
撤去されたため旧橋梁は現存しませんが、一部の橋脚が今も残っています。
多摩川橋梁が架け替えられたのは2000年代ですから、それと比較すると随分早い架け替えとなってしまいました。
おわりに
河床低下の影響によって、早期に架け替えられることとなった相模川橋梁。現在の橋は建設から50年を超えようとしていますが、末永く使えることを願っています。
コメント
コメント一覧 (3)
以前は高架化に関わる内容をWebに記載されてる方もいらっしゃいましたが、無料Webサービスの終了等で最近では全く見かけなくなりました。偶然本サイトと出会いましたので、せっかくなので年表を貼っておけばどなたかが調べた時の役に立つかなと思いコメントを残した次第です。ありがとうございました。
厚木駅南地区再開発で、残っていた本厚木側橋脚跡は撤去されたようです。現在立ち入り禁止になっており、また撤去後の写真を見てないので確定情報ではありませんが、ウォーキングコースであった事もあり、少し寂しい気がします。
ワタシダ
がしました
記事中、架け替えに合わせて厚木駅は移設、本厚木駅は高架化と書いてありますが、本厚木駅高架化は別マターです。安全上高架化の調整が終わる前に架け替えをする必要があった為、川側の区間のみを高架化し、あとはいままで通り土手で構成してます。架け替えは1971年8月厚木駅の下り駅移設で完了。本厚木駅高架化は1973年1月に着工。相模川橋梁架け替えで出来ていた高架区間は動かせないので、南側(架け替え前の線路跡)に高架線をもう一本作り、まず下り線のみを高架化。地上の下り線を撤去しその場所に高架化工事を継続、上り線を高架化(一部最終的に下り線になる線路を使う)。そして最終的に上り線になる高架区間(土手の撤去と高架接続)の工事を行い、南側高架線を撤去し、この区間の連続立体高架化完了です。南側に作った高架線跡はいまでも残っています。複雑な工事工程は、高架の柱の数、位置を確認するで事で伺い知る事が出来ます。年表にすると以下になります。
<相模川橋梁架け替え>
1971年7月13日 新厚木駅上り線開通
1971年8月13日 新厚木駅下り線開通
<本厚木駅 高架化>
1973年1月 立体化工事開始
1973年12月21日 海老名400m移転
1974年12月 高架下り線開通
1976年1月 高架上り線開通
1976年6月 駅舎完成
1977年3月29日 連続立体交差化完成
1977年3月31日 千代田線乗り入れ
1982年3月23日 本厚木ミロード完成
ワタシダ
がしました