代々木上原方で小田急の小田原線と、綾瀬方でJR東日本の常磐緩行線と相互直通運転を行い、地下鉄線内を各社の車両が走っている東京メトロの千代田線。
相互直通運転によって複数の形式が走っていることから、地下鉄としては楽しい路線です。
車両の整理が進んだことで、現在はバリエーションが少なくなりましたが、以前は走っている形式の数が多い時期がありました。
各社で車両の置き換えが始まる前、15年ぐらい前には以下の車両が走っていました。
東京メトロ6000系:35編成
東京メトロ06系:1編成
JR東日本203系:8編成
JR東日本203系100番台:9編成
JR東日本207系900番台:1編成
JR東日本209系1000番台:2編成
小田急1000形:10編成(4両と6両は合わせて1編成でカウント)
このように、1編成のみの形式や、番台が異なる車両が多く、かなりバラエティー豊かな路線だったのです。
小田急1000形も、4両と6両を繋いだ編成と、10両固定編成の2種類がありました。
そして、最も見かける機会が多かった6000系についても、登場時期によって形態が異なっていました。
車体の更新によって編成ごとの違いが多く、全く同じ形態の編成がないのではないかというレベルであり、形式の数以上に多種多様な車両が走っていたといえます。
まずは東京メトロの06系です。
1編成のみが製造された珍車に近い車両で、登場から引退まで増えることはありませんでした。
東京メトロの車両では、他にも6000系の1次試作車がなかなか乗れない車両でしたが、ある程度運用が限定されていたため、06形よりは狙いやすかったといえるでしょう。
そして、JR東日本は珍車の宝庫でした。
最も乗れなかったのは、1編成しかない207系900番台で、JR西日本の207系は実質的に別形式であることを考えると、06系と同様に1編成のみの車両です。
その他にも、2編成だけの209系1000番台も加わり、203形ではない車両が来た際には嬉しかったものです。
各社が車両の置き換えを進めた結果、現在は形式の統一が図られており、昔よりバリエーションは減ってしまいました。
ファンにとっては少し寂しいですが、乗務する側にとっては良い環境になったのでしょうね。
相互直通運転によって複数の形式が走っていることから、地下鉄としては楽しい路線です。
車両の整理が進んだことで、現在はバリエーションが少なくなりましたが、以前は走っている形式の数が多い時期がありました。
多くの形式が走っていた昔の千代田線
現在は各社で1形式まで整理された千代田線の車両ですが、昔は複数の形式を走らせている時期がありました。各社で車両の置き換えが始まる前、15年ぐらい前には以下の車両が走っていました。
東京メトロ6000系:35編成
東京メトロ06系:1編成
JR東日本203系:8編成
JR東日本203系100番台:9編成
JR東日本207系900番台:1編成
JR東日本209系1000番台:2編成
小田急1000形:10編成(4両と6両は合わせて1編成でカウント)
このように、1編成のみの形式や、番台が異なる車両が多く、かなりバラエティー豊かな路線だったのです。
小田急1000形も、4両と6両を繋いだ編成と、10両固定編成の2種類がありました。
そして、最も見かける機会が多かった6000系についても、登場時期によって形態が異なっていました。
車体の更新によって編成ごとの違いが多く、全く同じ形態の編成がないのではないかというレベルであり、形式の数以上に多種多様な車両が走っていたといえます。
なかなか乗れなかった珍しい車両たち
バリエーションが豊富だった千代田線の車両ですが、その中でも特に数が少なく、なかなか乗れない車両がありました。まずは東京メトロの06系です。
1編成のみが製造された珍車に近い車両で、登場から引退まで増えることはありませんでした。
東京メトロの車両では、他にも6000系の1次試作車がなかなか乗れない車両でしたが、ある程度運用が限定されていたため、06形よりは狙いやすかったといえるでしょう。
そして、JR東日本は珍車の宝庫でした。
最も乗れなかったのは、1編成しかない207系900番台で、JR西日本の207系は実質的に別形式であることを考えると、06系と同様に1編成のみの車両です。
その他にも、2編成だけの209系1000番台も加わり、203形ではない車両が来た際には嬉しかったものです。
おわりに
小田急の1000形やJR東日本の203系は、編成ごとの差が少ない車両でしたが、それ以外の車両は1編成ごとに姿が異なるような状況となっており、とにかく昔の千代田線は楽しい路線でした。各社が車両の置き換えを進めた結果、現在は形式の統一が図られており、昔よりバリエーションは減ってしまいました。
ファンにとっては少し寂しいですが、乗務する側にとっては良い環境になったのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (5)
ワタシダ
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OER4000とE233の接続セン、おそらくブレーキ指令についても互換有るはず、何時だったか忘れましたが、OER4000がパンタ上げしたままJR東のEF64(MONの親装置積んでる)に牽引されてマトから大宮工場に入ったことがありますが、あの時も、接続セン、は活用されたはず。
もはや、ブレーキ指令線、と言う名の、MONの制御線。
メトロ16000は、MONから発展したシリーズ車両(OER4000とかE233とか)じゃないから、指令線の中身が違うかと・・・(指令線の中身が違う車両どうしが異常時連結する際はBP管の指令によるかと・・・)。
ワタシダ
がしました
千代田線建設史に記載があり、それによると、
編成端に次の電気回路の接続センを設ける。
1.ブレーキ指令、2.連絡電話、3.ブザ
ただし、ブレーキ指令は営団電気指令ブレーキ車のみとする
ですが、JRが103→203になった時、小田急なら1000→4000になった時「ただし・・・」の協定が変わってるはず。
ブレーキ指令セン、の中身については記載が無い。
あっ、非常時は上記の、接続セン、以外にMRとBPの2管を連結器で連結して肘コック開ける。
そしてBPが1.4K減圧で常用最大を、BPが非常減圧されれば非常ブレーキを。
有楽町→半蔵門→南北→副都心も建設史見れば、接続セン、の記載が有るはず。
私、電気屋さんなんで、車両の記載部分はコピーしてないから、判らない(千代田線は車両のページ含めてある程度の範囲コピーしてある)。
JR東は、接続セン、を発展させて、E〇〇〇シリーズはみんな付いてる。E131-R12編成が配給された時、パンタ上げずにバッテリーだけONで機関車のBP管指令+MONの電気指令ブレーキで配給されたり、もはや必需品。
ワタシダ
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メトロ6000系…第1,5,6,7,8,11,12,13,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25.26,27,29,30,31,32,33,34編成はインドネシアへ
第2編成10両は新木場にて保存 それ以外は全車両廃車解体処分
なお、2編成はインドネシア譲渡後、SIV故障に対応できず廃車
メトロ06系…全車両廃車解体処分
JR203系…マト51,52,66,68,69は編成全車がインドネシアへ
マト53,54,67は10両中8両,マト55は10両中4両がフィリピンへ。
それ以外は全車両廃車解体処分
JR207系…全車両廃車解体処分
JR209系…中央快速線へ全車両転属
小田急1000系千代田線直通編成…4000形と交代後、5000形の置き換え用として小田急線専用車両に。
1252F,1256Fはそれぞれ1052F,1056Fと組み10両固定編成化、それぞれ1095F,1096Fとして活躍中。
1255Fは、クハ1255を廃車して上で1081F付随車2両とクハ1155Fを廃車した1055F3両と組成し、1097Fとして更新工事中
1063F,1064F.1065F,1066F,1091F,1093F,1094Fは更新工事施工済
1092Fはこれから施工
1061Fは箱根登山線専用編成に。
1062Fは廃車間近か。
1251f,1253f,1254fは数年以内に廃車か。
こうやって見ると、06系、207系を除くと案外思わぬところでその後の人生を送っている車両もいるようですね。
ワタシダ
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高校から30歳過ぎまで常磐快速線で通学・通勤してましたので、千代田線車両は毎日見ていました。高校の頃は国鉄が103系1000番台、営団が6000系で、もちろん全て非冷房。そこから6000系の冷房改造や新製増備、203系による103系の置き換え状況を見るのが楽しみでした。
ワタシダ
がしました