小田急多摩線の撮影地としても有名な、東京都多摩市にある電車見橋。
橋の下には、小田急多摩線と京王相模原線が通っており、名前のとおり電車がよく見える橋です。

この電車見橋の下で、1991年10月11日に土砂崩れが発生、土砂に乗り上げた電車が脱線する事故が発生しました。

脱線事故の概要

多摩線での土砂崩れは、1991年10月11日に発生しました。
当時の気象状況を確認してみると、日本には台風21号が接近しており、その影響で停滞していた秋雨前線の活動が活発化し、大雨が降っていました。
この大雨の影響により、土砂崩れが発生したということのようです。

事故の現場は、黒川から小田急永山の間にある電車見橋の付近でした。
下り線側にある斜面が崩れ、線路に流れ込んだ土砂に2600形の2671Fが乗り上げてしまい、前から3両が脱線してしまいました。
この区間はスピードを出すことに加え、トンネルを抜けた先だったこともあり、異変に気付くことは難しかったのでしょう。

事故の発生時はまだ大雨が降る状況だったようで、ここから大変な復旧作業が始まることとなります。

3日間の不通と事故車両の現地での解体

事故の発生直後から、当然多摩線は不通となってしまいました。
まだ台風が接近している状況の中、雨も降る状況で復旧作業が始まります。
現在であれば、ある程度気象状況が好転してからの作業となるか、そもそも計画運休していて事故自体が発生しないかもしれませんね。

現場は足場が悪く、重機を搬入することが困難だったそうで、復旧作業は難航します。
早期に復旧させることを優先して辛い判断が下され、先頭からの2両をやむを得ず現地で解体することとなりました。
この判断に車両部は反対をしたようですが、復旧作業が優先されたようです。

サハ2771とクハ2871の2両は現地で解体されますが、後に他の編成から足りなくなった分の車両を組み込み、6両で営業運転に復帰しています。
詳細については、以下の記事をご覧下さい。



脱線した車両は、切断されて小田急と京王の間にブルーシートを被せて置かれ、復旧作業が進められました。
早期の復旧に向けて現地での解体が行われたものの、それでも多摩線は10月13日まで不通となり、多くの利用客に影響することとなりました。

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現在の事故現場は当然綺麗になっていますが、立派なコンクリートの壁が設けられており、事故の後に整備されたことが分かります。
事故の前から決まっていたのか、廃車が発生したから決まったのかは分かりませんが、2600形はその後8両固定編成へと組み替えられることとなり、それから様々なエピソードを生んでいくこととなりました。

おわりに

事故車両を現地で解体するという、大きな事故となってしまった多摩線の土砂崩れ。
現場に設けられたコンクリートの壁が、そこで土砂崩れが発生したことを今に伝えています。